私が小さいときは「憲法発布の日」という言葉を聴く方が多かった。
1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法が公布され、半年後の1947年(昭和22年)5月3日に施行されたため、5月3日の方が憲法記念日となっている。
当時、参議院文化委員長だった山本勇造氏の回顧録では、元々、憲法発布は11月1日の予定であったが、施行日がメーデーと重なるという理由で直前に11月3日に変更されたのだという。
その結果、山本氏ら参議院側は11月3日を憲法記念日とすることを強硬に主張したが、GHQ側が11月3日だけは絶対にだめだと言って結局文化の日で落ち着いたらしい。
GHQ側が反対した背景には、11月3日が明治天皇の誕生日で、明治時代は「天長節」、昭和前期は「明治節」という休日であったためである。
となると、うがった見方で保守派が明治節に憲法公布の日を合せたのではという意見もあるが、結果として冒頭のとおりの趣旨の祝日となり定着している。
ところがところが、安倍晋三周辺の日本会議などは「文化の日を明治の日に改称しよう」と運動し国会請願書名などを行っている。
その趣旨は、『11月3日は、明治天皇のお誕生日、かつての「明治節」です。この日は、日本国が近代化するにあたり、わが民族が示した力強い歩みを後世に伝え、明治天皇と一体となり国つくりを進めた、明治の時代を追憶するための祝日です。したがって、もともとは現行の「文化の日」などという曖昧な祝日ではありません』というものだ。
ここには、日清、日露以降突き進んだ軍国主義の反省など全くなく、もちろんアジア諸国への侵略と蛮行の謝罪の気持ちなど欠片もなく、国内的にも基本的人権を踏みにじってきた警察国家を是とするものだ。
北朝鮮の危機を煽り世論を誘導した結果、いわゆる改憲勢力が3分の2を握ったが、国民の大多数の声は憲法9条改悪を望んではいない。
そういう国民の声を結集して、今日、東京を始め全国で9条改憲を許さない集会が取り組まれる。
運動は諦めたときが負けるときである。
私は午後からの大阪、中之島公園(剣先広場)の「総がかり集会」に、金子兜太・いとうせいこう選「平和の俳句」の大型名札を付けて参加しようと思っている。
選んだ俳句は次のとおり
あたたかき孫の手九条あればこそ 浅井安津子
九条を知らずに眠る凍土の父 遠藤道雄
声出るもの声あげよこの秋に 寺田美代子
若者よ銃など抱くな人を抱け 荒木紀理子
九条で地球まるごと包みたい 金田恵美子
真夜中に悲鳴を上げる父がいた 小林礼子
九条を吸ってエ吐いてエ生きている 金子明
第九条そらにやすらふ雲雀かな 船津丸守
憲法を引っ張り出したる文化の日
憲法を引っ張り出したる文化の日
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