義母に近い親戚の満中陰の法事に出かけた。農村の歴史ある(つまり長く転居していない)農家である。
宗派は大和、河内に多い融通念仏宗(鎌倉以前の平安末期に成立。総本山は大阪・平野の大念仏寺)。
まず最初に不思議であったのは仏壇の前に鎮座している座布団状のものだった。
聴くと、49個の小餅とその上を大きく覆った直径50cmほどの笠状(ピザ生地状?)の餅だった。
笠餅、あるいは四十九日餅などと言い、宗派特有の宗教儀式というよりも関西地方などの民俗:folkloe(少なくとも仏教民俗学の範疇)というのが正しいようだった。
ただし、私は初耳だったし、文献で読むのでなく生きた民俗として目の前にあるのに法事を忘れて感激した。
『新日本風土記』がここにある!と。
読経と焼香を中心とした満中陰の主要な法要が終わった後、お坊さんがその笠状のお餅を切り分け、それを人形(ひとがた)に並べられた。
菅笠を被り杖をついた人形は浄土に向かう旅姿だった。
お坊さんは、人形には何種類かのつくり方があるので「これが正しい笠餅だ」というようにインスタなどにアップしないでと言われた(笑)。
帰ってから民俗学の本などを引っ張り出すと、この人形になったお餅を吉祥餅とか釘餅というというのもあったが、今般のお坊さんの説明は「自分の病気の箇所や更に強化したい箇所を切り取って食べてください」ということだった。
なので一番最初に進み出て腰のところを切り取った。
後追いで文献を見ると古代インドの習俗だとか、故人の成仏祈願だとか柳田國男氏や五来重氏等々も交えて多数の諸説があったが、今般の場合は、こういう仏縁の機会にチャッカリ病気平癒も一緒にお願いする民俗行事のように私には見えた。
亡くなって僅か49日で吉祥もないものだが、参詣者の病気を除いてくれる、病巣の釘を抜いてくれるというので吉祥餅や釘餅という名もついたのだろうか。
浄土へ向かう途中で鬼などから釘を打たれる攻撃を受けてもこの餅でふわあっと防禦してくれるというユニークな説もある。
重ねて言うが私はこの歳になるまで笠餅というものを知らなかった。
義母の昔語りにも出てこなかった。
最初の仏前への飾り方や、切り方、そしてそのいわれなどいろいろあるようだ。
もし笠餅を経験されたりした方がおられたら、教えていただければ幸いだ。
正真正銘『新日本風土記』の世界だ。
初めて知ったお話有難う御座いました。
返信削除スノウさん、私も初めて知って驚いたものです。
返信削除フォークロアというとやはり農業・農村が主要な担い手であったようです。農村の衰退とともに日本が日本で無くなっていくような気がします。
周りから田畑が消え、祭りのふとん太鼓を担ぐこともなくなった実家(河内)には年に数回しか帰らない事が続いています。法事も家で簡単にお経をあげてもらい、近所のレストランでお膳をとる様になっています。
返信削除これだけの法事の行事が伝承されているのは凄いことだと思います。ご当家にすればごく普通のことなのかもしれませんが。
台の上からはみ出した足が何とも微笑ましい、笠の大きさ(餅から切り取った大きさ、円周)で決まるのでしょうが実に大らかでいいです。
当事者は「何も特別のことをしているわけではない」ということのようです。
返信削除それにしても、「知らなかったなあ~」というのが私の感想です。
で、農村の崩壊と反比例して、ハロウィンが盛り上がっています。単にマスコミに踊らされているだけではなく、理由(わけ)があるのだと少し肯定的に見物しています。
私が小学校低学年の頃に風習はすたりましたが、「ハロウィン」にそっくりな風習が私の地方にありました。確か毎年2月の節分の頃だったと思います。名前は「カイツリ」と言っていましたがどの様な字を書くかは分かりません。子供が夕方集まって変装して、各家々を回り「カイツリ参じました」と言ってお菓子をもらうだけの風習でしたが、鮮明に覚えています。私が一番年下でしたが、ワクワクしながら変装して家々を回ったことを覚えています。
返信削除ワクワクするような話ですね。古老に尋ねて復活出来たら面白いですね。
返信削除笠餅ですが、国会図書館東京新館に香川県のそれが収められているようです。
カイツリ・・も調べてみます。