2017年11月13日月曜日

介護は誰もの行く末

   昨夜は、老人ホーム家族会の大きなイベントを終えてホッとしている。
 ミュージック・ケアという催しで、その名のとおりミュージックでケアするという。
 音楽療法とは若干違うらしいが、私にはあまりその差異は判らない。

 義母は体がしんどいのか〝もひとつ”だったみたいだが、私の知る限り入所者は私の知っているいろんな行事の中で一番ノッテいたように思う。
 やっぱり、鳴子やベルやスカーフなどで終始〝参加している”のがミソではなかったか。
 この間まで体調の良くなかったAさんは歌とは関係なしに鳴子やベルを思いっきり鳴らしていたが、余程楽しかったのだろう。
 よくある行事では、演奏や踊りをお客さんとして鑑賞させてもらうことが少なくないが、それは〝もひとつ”のように思う。
 写真はシャボン玉だが、シャボン玉がかからないよう必死に除ける人も決して怒ってはいなかった。

 終了後ミュージック・ケアの演者の方々と交流したが、デイサービスを縮小して地域の包括的な支援体制への移行ということで、結局は各地で介護が切り捨てられていっているというのが、各地に出向いておられる関係者の実感のようだった。
 ボランティアでというのも、例えばボランティアで行事中に体調を崩された方が出た際の対策も何もないという当事者の現実の心配も聞いた。

 これらは福祉の話であるが、福祉や教育を「効率」で語ることは百害あって一利なしだと思う。
 「小さな政府」というのを金科玉条の如く語る政党や政治家がいるが、究極の「小さな政府は」独裁国家で、福祉国家はその対極であろう。
 来年度の介護報酬はさらに引き下げられようとしている。
 お友達に不当な値引きをし、トランプにはポンコツ軍事品を言い値で買うという政権が福祉のときだけはお金がないという。
 今のネトウヨは「お父さんお母さんを大事にしよう」とは言わないようだ。

    音楽に足が動いてる介護

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