6月11日、奈良公園の吉城園に、樹上で産卵するモリアオガエルの定点観測に行き、親ガエルを1匹見つけたが卵塊はひとつもなかった。私の乏しい経験からすると、異常も異常、大異常である。毎年なら、親ガエルは何匹もいて、卵塊はいくつもあるはずだ。
桜の開花で有名な気象庁の生物季節観測というものがある。
観察対象は23生物あったが、令和3年からは植物6種9現象に縮小され、その他の生物の季節観測は廃止された。
観測環境の変化など気象庁の言い分も判らなくはないが、ほんとうにそれでよいのだろうか。
もとよりモリアオガエルは対象ではなかったが、トノサマガエルもニホンアマガエルも廃止された。
大阪市中央区でトノサマガエルもないだろうが、工夫の余地はなかっただろうか。例えば大阪なら狭山池を場所に決めてボランティアの調査員が報告する方法とか・・・。
「調査なくして発言なし」は私などは往年の世界労連書記長ルイ・サイヤンの言葉として記憶に残っているが巷間では毛沢東の言葉として流布している。現在ネットを検索すると、公明党が多用しているというのも少しおかしい。
それはさておき「調査なくして対策方針なし」は的を射ている。
「公から民へ」などと言って公共部門の人員削減を繰り返した挙句「観測を止めた」というのは、自然界から遠からずしっぺ返しを食うだろう。何が地球環境だ。SDGsだ。
気象環境の変化か奈良公園の環境悪化か、非常に明快なメルクマール(指標)だと私は考える。モリアオガエルは危機を必死に訴えていないか。
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