ただ、石川麻呂説を発表されている研究者の一人である白石太一郎先生の石槨や土器の編年研究は緻密かつ論理的で、私は常に尊敬の念をもって理解している。
そこで、細かい話は全て飛ばして有名な終末期古墳の編年に関する白石先生の意見を紹介すると、キトラ古墳→マルコ山古墳→石のカラト古墳→高松塚古墳となり、それぞれ説得力もある。で、話はそのうちの石のカラト古墳に行く。石のカラト古墳については度々書いたが、私が少し気合を入れて散歩したときの散歩コースにある上円下方墳である。広~くいえば佐紀盾列古墳群の北辺と言えなくもないと私は勝手に思っているが、それは少数意見である。
平城京遷都・奈良時代直前の貴族ではないかとの説が有力だが、今のところ被葬者は絞られていない。
昨日の高松塚に関わって妻と話し合った折、もっと年代の確かな確定はできないものかとなったが、1970年代に炭素14・年代測定法が確立されて研究が格段に進歩したように、50年もしたら炭素以外のものから物理学的な方法で測定できる時代が来るだろうと私は答えた。でも50年後ならその成果を私は見ることはできないだろう。それだけ、ああでもないこうでもないと楽しめる期間が長いということになる。
毎夕食時にロシアの面白くないニュースが入ってくるだけに、夕食後に、こんな古代史を読んだり語ったり、そしてこんな雑文を書いてみたりするのは楽しい。コロナのパンデミックもこれあり、私はこうしてメンタルヘルスのバランスをとっている。
0 件のコメント:
コメントを投稿