西アジアがイスラーム世界となる前、紀元前3300年~紀元後650年頃を考えると、特に224年に成立したサーサーン朝ペルシャ帝国の国教は拝火教だった。それは仏教以前キリスト教以前の世界宗教の大本だったし、仏教にもキリスト教にも大きな影響を与えた宗教だった。
しかも勢いはペルシャに止まらず、東の大国「唐」にも及び、松本清張氏によれば直接あるいは仏教の中に包含されて間接的に日本にも及んでいたとされている。
先日、東大寺二月堂のいわゆるお水取りのお松明を夏ちゃんファミリーと見に行った。事前のお坊さんの説明で「これは法要であるからお松明が終了しても拍手などはしないでください」とあったが、それでもお松明が揺らされてゴーッと(音はしないがしたように)火の粉が瀧のように降り落ちると、誰もが声をそろえて「おおーっ」と感嘆符のような声を漏らすのだった。
夏ちゃんは作文に書いて提出したというから、同じように「おおーっ」と感動したようだ。
そもそも二月堂周辺は、建物も国宝や重文が多く、その中の仏像や宝物でいえば外の県の国宝や重文の合計をはるかに超えるほどのことである。
その中で、屋根付きの回廊を天井まで炎が届くお松明がゆっくりと登ってくる。そして二月堂の舞台に到着すると廊下や庇に火を撒き散らし、さらに周辺に火の粉の瀧をつくるのである。また別に堂内でも松明は打ち振られ、あえて真っ赤に焼けた鉄の粉を撒いたりする。仏教の中に護摩焚き法要など火の作法はいろいろあるが、桁が違うというかレベルが数段違う火の行法だと思う。
「これは拝火教だ」と思わない方がおかしい。日本列島はユーラシア大陸の辺境である。中心地周辺で誕生し反映した文化や文物が中心地では跡形もなく消滅したのが辺境に残るという鋭い指摘がある。
福永光司さんの本に「神道や仏教の中にも道教がある」と述べたところ、神道の偉い人からえらく叱られたという話しがあったが、現代の神道や仏教の方々が何となくその説を嫌がる気持ちもわからないではない。しかし冷静に考えて、唐の長安で繁栄していた道教や拝火教が一切日本に入ってこなかったと考える方がおかしい。
西アジアからユーラシアの土地と歴史を旅してきて、辿り着いた火の行法だと眺める方が私はありがたい気がするのだが。
深い‼ 私は、只々1270年、1270回続けられてきたことに感銘を覚えてきましたが。
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