今日のテーマは「微力ではあるが無力ではない」である。
というのも、ニュースの度に報じられるプーチンの悪行に憤激しながら、これと言った特効薬が見つからず、その間にウクライナ市民が死んだりしていっているのを見ると、11年前の津波で人々が死んでいくのを文字どおりライブで見ていたときのように、自分自身の無力さを感じるからである。
というのも、ニュースの度に報じられるプーチンの悪行に憤激しながら、これと言った特効薬が見つからず、その間にウクライナ市民が死んだりしていっているのを見ると、11年前の津波で人々が死んでいくのを文字どおりライブで見ていたときのように、自分自身の無力さを感じるからである。
しかし、少し俯瞰して見てみると、ミャンマーでも、ホンコンやウイグルの地でも、中東やアフリカでも数々の非道な行いは止んでおらず、だからといって直接的に私ができることはほとんどなく、被害者の支援や、理性に基づく人権や民主主義の主張や連帯の意思表示を行うぐらいでいる。
確かになまっちょろいことに見えるが、ウクライナ侵略に関していえば、基本的にはロシアの市民による民主主義の運動こそが決定的な力であり、そこに連帯・支援するのが王道であろう。
そんな基本姿勢を「何の役にも立たない」とかと誹謗して、「だから核を共有すべし」などとはしゃぐ人士がいるが、冷静に考えれば、それはキムジョンウンの主張と変わらず、世界中の国が核兵器をもって脅し合うバランスこそが平和の実現ということになる。
溢れるニュースで人々の気持ちがうんざりしているときに、こういうはしゃぎ方をするポピュリストほど怖いものはないと心得るべきだろう。
もう少し話を広げるならば、安倍政権、菅政権の議会制民主主義無視の強権政治は酷かった。だからといって暴力的に解決できる問題でもなく事実そのようにリベラル陣営は対処した。そして政治の決戦場であった総選挙では、右翼側からの反共宣伝が巧妙に行われ、残念ながら野党統一候補の実務も直前までまとまらず、あれほどの非人道的な政治が継続されるところとなっている。だからといって落胆しているわけにはいかない。歴史は単純には進まないものだ。
そこで元に戻って、私たちはウクライナに銃をもって馳せ参じることはしないが、ロシアの非道をSNSなどで告発することができる。そういう運動を連帯することができる。自分自身の非力さを嘆く暇があったらそういう文章を発信したり友人知人に語ることができる。
コロナ禍を理由にただただ首をすくめていてはならない。当然のことだ。
百均の「缶バッジキット58mm」というので幾つかのバージョンの缶バッジを作った。今は写真のバージョンのをサコッシュに付けている。
貴殿やTさんのすてきなアイデアや行動の一手に感心しながら、元気をもらっています。
返信削除自分自身に言い聞かせています。元気をなくすな! 目の前に参議院選挙があるぞ。
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