2020年6月8日月曜日

民度とマスク

   麻生副首相の「民度」発言は、ナチスの「アーリア人は優性(日本人は民度が高い)」とした思想と同じだという指摘は当たっていると思う。以前には「憲法改正はナチスに学べ」とまで言っていた。
 副首相は「日本はロックアウトしなかったにもかかわらず国民が従った」と「民度の証明」を開陳したが、それを裏側から「同調圧力」「従順な国民性」と評して批判的ながら「コロナ対策に果たした影響」を認めている論調もある。
 私は6日の記事でそれを全く認めていない訳ではないとしながらも、アジア大洋州のデータと照らし合わせて、主要な「ファクターX」はそうではないだろうと意見を述べた。

 とはいうものの、テレビでは「夜の街」に繰り出した若者が「だって解除されたんでしょ」とインタビューに答えているのを見ると、自分の頭で考えるのではなくて「宣言されたから自粛する」「解除されたから元どおり」という風潮が現にあると少々気が滅入った。

   よく似たことはわが街周辺のマスク事情でもいえるように思う。
 私はショッピングモールの入口ではマスクをするが、人通りのまばらな街路樹いっぱいの遊歩道ではマスクを外している。咳エチケットとしては十分だと考えている。
 しかし、そよ風もありフィトンチッドこぼれる遊歩道をマスクをしたままの人も多い。
 「念には念」で慎重なのだといいのだが、どうもそこには「マスク、手洗い、うがいと言われているからしている」のではないかと想像される。
 小さな子供にも同じようにさせているが、コロナ以前に熱中症で倒れる可能性も低くない。

 そもそも患者数は感染者数では断じてない。さらに検査を絞りに絞って行わないのだからいわゆる「感染者数」も正しくない。尾身副座長自身が「(実際には)10倍か15倍か20倍か誰にも分からい」と国会で述べている。
 そのような非科学的な「感染者数」をもって「大変だ」とか「山を越した」とか報じられ、「そのエビデンス(科学的根拠)は何か」という声が抹殺されている。
 このマスコミの現状をもって「民度」と言うなら、確かにナチスドイツの時代に近づいている。

   どこにいるウイルス奴五月晴れ

0 件のコメント:

コメントを投稿