鏡で投影して撮影 |
開けて21日(日)は夏至で日蝕だった。
ところで夏至は可哀相である。春秋の彼岸にしても冬至にしてもしきたりや食べ物が種々連想されるのに、少なくともわが家には夏至というこの日に限った年中行事はない。
さて日蝕の方だが、冲方丁著『天地明察』を引っ張り出してパラパラと読み返した。
日蝕や月蝕の予言は、家柄も権威も観念も呪術も信仰もお構いなしの計算だ。唯物論だ。そこのところが痛快だ。
将軍綱吉の時代、後のケプラーの法則を発見して改暦をなした春海の話である。
夏至に日蝕がみられるのは372年ぶりのことらしい。日本列島では皆既日食や金環日食でないのが少々物足りないが、夏至の日蝕ということで想い出にしまっておこう。
1 残念ながら思いっきりの曇り空で372年ぶりの夏至日蝕を逃してしまった。写真は鏡で反転させた小さな太陽を拡大したものだ。普通には左下が欠けたように見えるのが右上が欠けて見えている。雲の関係だろうか、鏡で投影したときの当たり前の現象だろうか、少し難しくて解らない。
2 ピンホールを作ってみたが曇り空が晴れることなく、こんな程度の失敗に終わった。372年に逃げられた。
3 3枚目の写真は曇る前(日蝕前)に撮ったもので、本来ならこの一つ一つの小さな丸い影が部分日蝕して写るはずだった。人間がいくら祈っても曇りは曇り、これも自然界を理解する上での教訓だ。1,2,3ともスマホの撮影だったので、これにて終了。
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