私は、政府が言うからというのではなく、数字や論理に納得すればそれを実践しようと考える方である。だから、悪意のない隠れ感染者が街にいるとの専門家の評価に納得して、できるだけ外出を避けるべく「引籠って」いる。
なので、古い本などを引っ張り出して読んだりしているが、やはり新刊も読みたい。
そこで、西谷文和著『西谷流 地球の歩き方 下』を、先ず近所の未来屋書店に在庫がないかをネットで調べたが置いてなかった。同じくイオン・未来屋書店のネット通販『mibon』にもなし。amazonにもなかったが、最後に楽天ブックスにそれを見つけた。
街の本屋さんを応援する立場からamazonも楽天もできるだけ避けたいが、ポチッと画面を押して翌日には届くのであるから便利と言えば便利である。
1ページ目の『はじめに』に中村哲さんとの写真があった。
この本は姿勢を正して「ゆっくり」「ゆっくり」読むことにしよう。すぐに読み終えるのは惜しい。あえてページを閉じて机の端に積み上げた。
それでもページをめくっていくと次のような文章があった。
2001年10月に著者がタジキスタンからアフガニスタンへ入国の時・・・、
『河川敷に掘っ立て小屋があって、この小屋がアフガニスタンの入国審査だった。30人くらいの記者の列。出遅れた私は後方に並ぶ。「おい、お前!」審査官が私を指差す。「えっ、何ですか?」「日本人か?」「はい」「では、お前からだ」。えっ、ホンマにエエの?「悪いね!」。英米仏などの記者たちに謝りながら、行列のトップに。「俺は日本が大好きだ。日露戦争では憎いロシアに勝ってくれた。そして憎っくき欧米に一矢報いたのも日本人だ。審査官はろくにチェックもせず、パスポートにスタンプを押す。「おい日本人、メシでも食っていけ」。別部屋に通され夜食が・・・。
あれから約20年の歳月が流れた。アフガニスタンを空爆する米軍に給油をしてきた日本。「間接殺人」に手を染めた日本の評価はガタ落ちし、今や日本人が狙われるまでになってしまった』
足で稼いだ文章には代えがたい重みがある。
頭の中で地球を歩き回りながら考えさせられることの多い本だ。楽しい。
中学校の音楽の時間にはただレコードを聴くだけの授業があった。
その中の一つ、ボロディンの交響詩『中央アジアの高原にて』は理屈抜きに私の心を揺さぶった。
あの中央アジアの高原が、いまは・・・。
文明の十字路読むや春時雨
0 件のコメント:
コメントを投稿