2020年4月30日木曜日

戦後に比べれば

暮らしの手帖
   このブログでもシバシバ老朗介護のことを書いてきたが、ここ数年は「請われれば一差し舞う」ことにして、老人ホーム家族会の会長を引き受けてきた。
 それも昨秋義母が逝ったので、この春は「立つ鳥」の気持ちになって会長退任の定期総会を準備してきたが、そこへ降って湧いてきたコロナ騒動で、急遽書面総会という前代未聞の体験をすることになった。
 結果、全議案と新役員体制が承認され、少しほっとした気持ちでいる。
 入居の義母はいなくなったが、御礼奉公ではないが引き続き家族会のサポーターとしてお手伝いは続けていく。

 考えれば老人ホーム入居中の方々は、ほとんどが昭和前半の戦時体制下で青春を過ごされ、戦後の混乱の中を生き抜いてこられている。
 戦地や外地で九死に一生を得、地獄の釜の中を垣間見てこられた方々も・・・。
 それに比べれば、非科学的精神主義はいけないけれど、この程度のコロナ騒動にしゅんとなんかしてはおれない。先日来「共感疲労」という言葉を使ってきたが、メンタルの疲労は思考停止を呼び、結局、粛々と進めるべき実務も停滞させてしまう。

 今回のコロナ禍で、世間ではテレワークが一段と進んでいる。
 娘婿もテレワークや会社の近所のホテル宿泊で通勤混雑を避けている。
 日本共産党の府県委員会もテレワークだと聞いた。こんな時代だからSNSで頑張ろうとも言っている。
 
 そんなもので、作業の最終段階で中断していたミニコミ紙だが、コンパクトなA4判で、何人かがそれぞれ自宅のプリンターでアウトプットして、手分けをして発送する手はずにした。テレワークである。
 残念ながら、そういうネットワークに参加できない市民運動がある。
 シニアも「歳だから」とか「体が」などと言っている場合ではないと思うのだが、なかなか分かってもらえない。
 市民運動の中にも「お任せ民主主義」がある。

   日ごとに膨らむや豌豆四月尽

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