2020年4月24日金曜日

幼児の責任逃れ

   右の写真は22日の朝日の夕刊だが、どうも寂しい気持ちになった。(有名な公園が事実上行楽地のように混雑しているという文脈ではない。普通の市民公園だ)
 わたしが自治体の担当者なら「保護者の皆さんへ! たっぷり遊んだ後は手洗いと殺菌スプレーをしっかりしてくださいね」という掲示をして「利用禁止」にはしない。

 どうしてもこの記事の自治体等には「責任逃れ」の体質があるように思う。
 それは首長と役所内の民主主義というか民度の問題だろう。
 住民の安全とともに小さい子供の現状を考えて考えて考え抜いて、知恵を出し合って決断できないなら「公務員を辞めろ」と私は思う。
 昨今ならパワハラと言われるかもしれないが私が現役の時はそのようによく話し合ってきた。

 「何かあったらどうしてくれる」という責任逃れの主張は自治会などでもよくある。
 この呪文は伝家の宝刀で、要は何かをするための困難を打開しようとする議論でなく、見事な門前払いで自分がそれをしないことの正当性(横着さ)をカバーしてくれる。

 私が家族会の役員をしている老人ホームの広報誌に、新しい管理栄養士の方のインタビュー記事があったのが面白かった。
 曰く「以前勤めていた施設なんかでは、リスクを考えて餅つきなんかはしてなかったんです。ここではしていたのでびっくりしました。・・・ご入居者の事をすごく考えているなと思います」。(私:みんな大いに議論し考え抜いて実施してきたのですよ)
 
 少なくない世間では、極論を吐いて入り口で議論を止めていないだろうか。
 知恵と常識でリスクを予防したり解決はできる。餅つきをしないなどはその典型だろう。
 「餅つきをしてもよろしいかと保健所に聞いたら『問題ない』とは言ってくれなかったから」という声も聴く。
 そんなことだから、スーパーの買い物の仕方まで都知事がご指導されるという。(東京の一部スーパーの酷いのはそこで解決すればよい)
 加藤諦三氏の指摘ではないが、現代人と社会の特徴を一言で言えば「幼児化」だとつくづく思う。



   
 

0 件のコメント:

コメントを投稿