そのアフガン東部は古代のガンダーラの一部で、仏教伝来の道でありシルクロードの中継点であった。
『バター茶をどうぞ』から (あやつことは関係ない) |
また、極東の我われがシルクロードというとき、イメージとしては全ての動きが西から東へという風に見がちだが、この道を通って東から西に行った文化も多かったはずである。東の麺が西進してパスタになったとか。
さて、渡辺一枝著『バター茶をどうぞ』を読んでいると次のような記述があった。
「チベットにもお宮参りの習慣があります。赤ちゃんが生まれて一か月ほどすると、良い日を選んで、晴れ着にくるみ、やはり晴れ着を身に着けた両親や、祖父母、親戚と共に寺院に詣でるのです。・・お宮参りは、赤ちゃんにとって初めての外出ですが、この時、赤ちゃんの額から鼻にかけて、かまどや鍋の底に付いている煤を塗って出かけます」。
この文を読んで私は「世界は遠くて近い」と感心するばかり。
これは現代日本のお宮参りの感想文かと勘違いしそうだ。
日本では、お宮参りの『あやつこ』という風習として同じものが残っている。鍋の墨や紅で額に『大』などと書くあれである。
これについては2011年6月12日にこのブログに書いたが、要点中の要点のみを書くと・・、
白川静著「常用字解」によると「産」のもとの字は「文と厂(かん)と生」である。
下から述べると、まず生。これは草の生え出る象形。この字だけで、うまれる、いきる。 次に厂(かん)は額の形。 その上の文は一時的に描いた入れ墨のこと。
つまり、白川文字学、白川民俗学でいえば、漢字が完成した殷代安陽期初期(前1300年頃)までの殷の社会では「あやつこの方法で産土神に報告することによって共同体の一員として産まれたことが認知された」・・今風に言えば、あやつこを描いて、お宮参りで子の誕生を神に報告して、そうして初めて産まれたことになるのだ・・ということなのだろう。 健やかな成長祈願の魔除である東アジアの古代の観念と習俗である。
「あやつこ」も、子や孫にする方としては我々の世代が最後尾のような雰囲気であるが(私の二人の孫にはした)、そんな折にチベットにそれが現存しているという情報は、歴史や世界地図が一挙に現実味をもって小さくなった気がする。
そんなもので、ちょっと近頃チベットにはまっている。
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