その淵源には中国という国の文化的弱点ともいえる中華思想があることも書いた。
中華思想で特徴的な不当行為(弾圧)がウイグルやチベットの地でも起きていて看過できないことも・・・。
渡辺一枝著「バター茶をどうぞ」から |
寄り道をすると、・・仏の真理(仏典)を求めて命がけの旅(冒険)をした人物としては玄奘三蔵が有名であるが、明治時代に同じように当時鎖国状態であった(つまり、見つかれば密入国で命さえ危ない)チベットに入り仏典を探し求めた日本人に堺の人河口慧海がいる。
明治21年には堺市立宿院小学校(Wikipedia)の教員もしていたという。・・で、元堺人である私はかねがねチベットには関心があった。(以上、寄り道おわり)
渡辺一枝さんの講演はチベットの風景や生活習慣をこんなこともあるあんなこともあると詳細に教えてくれるものだった。
そして静かに、漢語教育を通じての中華化や、改革開放政策、特に青蔵鉄道後の資本主義的経済政策の下で、チベットの自然や生活習慣が急速に歪んでいっていることを訴えられていた。
今どきグローバリズムに疑問を呈するのは余程の時代遅れと笑われるかもしれないが、歴史も文化も全く異なる「少数」民族を大国が吸収してよいものだろうか。よくない。
「少数民族」とは言っても、総数では約600万人と言われているし、チベット自治区の面積だけでも日本の4倍ほど(歴史的なチベット圏でいえば日本の約6倍)の面積だから、国際的にみても「大国」並みの土地である。
私は中国政府の少数民族に対する強圧的な政策を、日本共産党が唱えている科学的社会主義の理念と近いかのように誤解してほしくないなあと強く思いながら帰ってきた。
日本共産党は1月に予定されている党大会議案の一つの綱領改正案で、現代中国政府と中国共産党の大国主義、覇権主義を厳しく批判し、もはや「社会主義をめざす国とも言えない」と規定しようとしているが、事実に即して私はそれに賛成したい。
ただ、経済成長を善とする思想が社会を疲弊させているという意味ではチベット・中国も日本も変わりがなく、ベルリンの壁崩壊時に歓喜した東欧の人々の多くが今では失望していると言われている中、世界的に深化している格差社会を乗り越える魅力ある展望が世界中に求められているように思う。
その展望は、発達した資本主義国でかつ矛盾が極まった日本における自覚的民主勢力に求められているのかもしれない。
中国の政府と共産党が国内外で民主主義に反する行動をとっている一方で、アメリカでは自ら社会主義者と名乗る人々が大統領予備選挙等で躍進している。
眼を大きく開けば時代は決して捨てたものじゃない。
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