2019年12月21日土曜日

ペシミズムだろうか

 先日、旧友と会ってよもやま話をした。
 友曰く「政治の歪みににも怒りが長続きしなくなった」と、10年後、15年後のことはもう怒りにならないようだった。
 私の場合はたまたま重い障害を持つ孫の将来を想像して、この児が生産性がないとかということで社会がいびり出すような未来には絶対にしたくないという具体的な問題意識があるが、これが子も孫も「普通?」に成長しておれば、これまでの日本経済の残り物ででもどうにかなるかと思ってしまっているかもしれない。

 いまリベラル左派の大いなる主役は「シルバー民主主義」とか揶揄されている高齢者かもしれないが、その層が、やれ終活だ、やれ趣味の充実だという風にほどほどの怒りで止まっておれば、そんな人生の先輩を見ている若い層が希望と情熱で社会を変革しようと思わないのも無理はない。
 日本共産党の年代別支持率で10代、20代の支持率が低い理由もそんなところにありはしないか。要は親の世代の問題かも。

 旧友の子供たちは皆いわゆる「勝ち組」で働いているそうだ。
 そしてその子供たちは「社会がいつまでもつか知らない」「会社がいつまでもつか知らない」といい、そういう当てにできない将来に備えて自力で貯蓄等をしておくのだというらしい。
 この感じは、なんやかんや言っても公務員には感じられない肌感覚かも。

   結局高齢層の一種の小市民的安定感と若者のペシミズム(厭世主義)が安倍政治を許しているのかもしれない。いや、高齢者も相当ペシミズムに覆われていないか。

 私は阿保の一つ覚えのように「メッセージの伝え方」の大事さを語るのだが、何人がその真意を理解してくれていることだろうか。
 ちなみに、「メッセージの伝え方」は立憲デモクラシーの会の中心メンバーで上智大学教授中野晃一先生の指摘で、そのキモは「リスペクト」と「謙虚」だと私は理解している。

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