先日のNHK歴史秘話ヒストリア「百舌鳥・古市古墳群」はなかなか良かった。
古墳の名称も基本的には大山古墳、誉田御廟山古墳を使用している姿勢も学問に対するリスペクトに見えた。
というのも、掲げた写真は「百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議」(事務局:大阪府)のリーフレットの一部であるが、文句なしの「仁徳天皇陵」「応神天皇陵」あるいは「履中天皇陵」を使用している。
履中天皇は仁徳天皇の子であるが、考古学的には伝履中天皇陵は伝仁徳天皇陵よりも古いという矛盾があるから、そのことにも触れたこの番組は、大阪府等の俗な地方行政機関よりも立派であった。
さて、百舌鳥と古市の巨大古墳の被葬者については、2017年3月27日、2019年2月2日、2019年2月3日に少しまとめて書いてきた。
2月3日などは、もうロジカルな証明ではなく空想の世界であったが。
とまれ、森浩一先生は「敗者の古代史」で、武内宿禰と神功皇后・応神天皇の東征があった際、近畿にはヤマトタケルの正当な孫である忍熊王(オシクマオウ)の政権があったと指摘されている。
歴史は勝者によって改竄されるのが常である。
5世紀前の河内の大豪族を歴史の欠片から探してみたいものである。
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