近頃は本屋に行っても新書コーナー歩きを専らとしていたが、たまたま覗いた文庫コーナーに谷崎潤一郎の『吉野葛』があったので持ち帰った。
いわゆる「奈良学」の講義は度々聞いていたから、谷崎潤一郎が吉野葛で著名な黒川本家に逗留してこの中編小説を書きあげたことはよく知っていたが、だからといってこの小説を読む機会というか意欲に出会わずに今日まで来ていた。
だから何という理由もなく、ほんとうにそのときの衝動で購入したのだった。
そして読んでみて一番驚いたことは、これが吉野葛のことや、その旧家(黒川家)の話ではなかったことで、実は吉野の「国栖」の紙すきの里の話であったことだった。勝手な思い込みというのはどうしょうもないものだ。
さらに一番のテーマのようなものは、親の顔の知らない「副主人公?」の母探しにあって、明治初期の大阪の文化と重なって私も気持ちよく読み進んだが、そういう話はとりあえず横に置く。
また、信太狐、静御前、忠信狐、妹背山、南朝等々の興味のある話も置いておく。
それとは別に私が引きこまれたのは圧倒的な吉野の風景描写で、先ほど挙げた国栖、宮滝、入之波(しおのは)、伯母が峰、大台ケ原山などの描写に出会うたびに、若い頃よく訪れた吉野の風景が記録映画のように思い出された。
文中に、「その後乗合自動車も通るようになって変ってしまった」ともあったが、私と大台ケ原との出会いは中学生のときだったから、その後でだって2遍も3遍も・・何遍も変わってしまっているが、それでも相当古い景色が思い出される。
「変ってしまった」というが、この原稿を書いている日の新聞には、先日の雨で土砂崩れが起こって十津川の温泉のパイプが破損して、当分の間温泉が使えない」と報道されていたから、圧倒的な自然は健在とでも言っておこう。
読み終えてから、You Tube で筝曲「狐噲(こんかい)」を聞いてみた。
偉そうなことを言えば、私のこどもらの世代では、ここに書かれた明治の大阪も吉野も想像が及びつかないのではなかろうか。私自身、認知症前にこの小説に出会えてよかったと思っている。読後感の好い小説だった。
急流に藪雨鳴くや国栖の郷
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