2019年6月7日金曜日

ガネーシャさま

   わが家からそう遠くないところに奈良市押熊町がある。ヤマトタケルの子の仲哀天皇の子の押熊王の墓所と伝えられる遺跡もある。(押熊王は応神に滅ぼされた)
 北側にも東側にも幹線道路が走り、少し西側には住宅地が迫っているが、その中に、そういう近現代の歴史から取り残されているような集落がポツンと残っている。
 細い道を車で入ろうものなら身動きが取れなくなるような小道ばかりで、私も押熊王の墓所以外には行ったこともなかった。
 その中に常光寺という寺があり、1年に1度だけ双身歓喜天が開扉されるという情報に接したので参ってきた。

   歓喜天は聖天(しょうてん)とも呼ばれ、ほとんどの寺では絶対的な秘仏にされている。(EX宝山寺の生駒聖天)
 スリランカやインドあたりではガネーシャ様として日本のお地蔵様のように広まっているが、抱擁している二体の神像というのには日本の僧は戸惑われたのかもしれない。
 象の顔というのが忌避されたのか、抱擁が忌避されたのか解らない。

 歓喜天は元ヒンドゥー教の神のガネーシャで一般には財運、福運の天である。
 住職は歓と喜の天で徹底して前向きの仏さまだと説明されていた。
 「双身の抱擁は陰陽の和合ということではありませんか」と尋ねたが「そういう説もあります」と深入りされなかった。理趣経あたりに深入りされたくなかったのかもしれない。
 広く「聖天は夫婦和合のご利益」という説明もされなかった。
 しかし、見事な二股(三股?)大根が供えられていたから、素直に言って男女の抱擁を具現化して現世肯定の教えを述べているのは間違いなかろう。

   古い形のお菓子も供えられていた。清浄歓喜団といい京都の亀屋清永のものという。ちなみに1個500円+税と箱代らしい。
 奈良の萬々堂道則の「ぶと饅頭」に似ていた。 

 元々は結構大きなお寺だったようだが、ご多分に漏れず明治の廃仏毀釈で徹底的にダメージを受けたらしい。
 それでも、遠くない地にこんな落ち着いたお寺があったのかと感心して帰ってきた。

   水無月や古き鄙の歓喜天

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