2019年6月16日日曜日

梅雨入りはいつ

大阪管区気象台の観測装置
  専門家(半分は?だが)による(金融)審議会に諮問しておいて、その結果が気に入らないからと受け取らないというのは、「俺たちに都合のよいようなデータや解釈を忖度して持ってこい」ということだろう。酷い話だ。

 そもそも「その答」というものが政府与党の考えに反対したものでもなく「あまりに素直にホンネを言ったことがイカン」というものだから、何をか言わんや!だ。

 さらに「受け取りを拒否するから答申はなかったものとなる」という論理は、「その国力(経済力)からいってアメリカと戦争して勝てるはずがない」という、当時普通の知識人なら誰もが認めていた常識をねじ伏せて太平洋戦争にのめり込んだ軍部の暴走と変わらない。

 NHK BS「昭和の選択」で何回か初代中央気象台長岡田武松のことを放送していたが、当時文部省にあった中央気象台(今の気象庁)を陸軍が軍の管轄下に移行しようとしたとき、暗殺予告という脅迫にも屈せずそれを拒否した岡田の話は胸を打つ。
 ただし、岡田は軍事体制そのものを批判していたのでなく協力もしていたのだが・・、
 結局、中央気象台は守られたが天気予報は軍事機密とされ、台風情報を知らされなかった山口県で大量の死者という被害もあった(※)。
 (※)昭和17年8月27日―28日周防灘台風。死者708名、行方不明者86名、負傷者559名、住宅流失1996棟、全壊2990棟、半壊9060棟、浸水42165棟、船舶流失等2257隻等々。

 それでも、全国的に軍の膨大な史料は敗戦時に焼却された一方、岡田の薫陶を受けた科学者集団であった中央気象台はデータを死守したため、近頃の異常気象が100年来の異常であるというようなことが解るようになっている。

   大阪市中央区大手前にある大阪管区気象台の観測装置を見ながら(百葉箱はもうない)、天気予報さえ伏せられたような時代の足音を背中に感じたのは心配性だからだろうか。
 近畿地方の梅雨入りはいつと発表するのだろう。

   梅雨明けはまだ先のことよ星あじさい

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