2019年4月4日木曜日

スペイン風邪のことから

 明治生まれだった母の思い出話だが、近所の医院に受診に行ってスペイン風邪のときの話を先生に講釈してきたらしい。「医者なのにスペイン風邪のときのこともよう知らんかった」と怒っていた。
 そのとき(大正7・8年)は余りの大流行に火葬場が間に合わず、みんな何日も長い間待たされて大変だったと話してきたらしい。

 いま、日本人口の3分の1が65歳以上となる2030年問題が言われているが、スペイン風邪のときではないけれど、介護から火葬、はては墓じまいまでこの国はどうなるのだろう。
 のぞみ大事故直前だった問題では「正常性バイアス」が指摘されたが、この国の多数が「どうにかなる」「これまでもどうにかなってきた」という正常性バイアスに脳内が支配されていないだろうか。

 ポストの数ほど特養を!は喫緊の課題だと思う。
 それは贅沢でも何でもなく、人間として当然の要求である。
 いまから50年近く昔は、保育所の要求が贅沢だと非難する声もあった。
 「よく預けられるわね」と働く母親は嫌味に堪えなければならなかった。
 
 いま、「家族介護が幸せだ」的な意見は、50年前のそんな意見と変わらない。
共産党と宗教者との対話・連帯
   キリスト教のことはあまり知らないが「自分を愛するように隣の人を愛しなさい」という教えだと聞く。
 そこから、教会の慈善事業が始まり、それが行政に発展していったのではないだろうか。
 キリスト教の影響の少ないわが国で、福祉や富の再配分の評価が低いのはその辺にも理由がないだろうか。僧も神職も考えてほしい。
 弱肉強食は神の教えではないはずだ。
 統一地方選挙の本番中にそんなことを考えた。
 福祉や生活環境あたりを削って「行政手腕だ」というような論調に乗ってはいけないと思う。

 逆説的に聞こえるかもしれないが、現代社会で最も敬虔な意味で神や仏の声に寄り添っているのは共産党だと私は思っている。

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