3月19日と26日に明恵上人のことを書き、そこでも紹介しておいたが、「明恵と鳥獣戯画」に関する特別展(前期)『明恵の夢と高山寺』を、大阪市内に出たついでに中之島香雪美術館で見てきた。期間は5月6日まで。比較的空いていた。
なので有名な大展覧会のような混雑で疲れることもなくゆっくりと鑑賞できて満足した。皆さまにもお勧めする。
今週はOB会の遠足で信貴山に行く。ここでは信貴山縁起絵巻を見る予定にしている。
鳥獣戯画も信貴山縁起絵巻も作者は伝わっていない。
一説にはどちらも鳥羽僧正覚猷の作と言われるが私にはよく判らない。神護寺ゆかりの絵師の集団が有力かもしれない。
一説にはどちらも鳥羽僧正覚猷の作と言われるが私にはよく判らない。神護寺ゆかりの絵師の集団が有力かもしれない。
信貴山縁起絵巻は三つの巻からなっている。
「飛倉の巻」は東大寺で受戒した法師(聖)が信貴山で毘沙門天を祈り麓の長者の寄進で暮らしていたが、米の寄進を嫌がった際、倉ごと空鉢が空を飛んで米俵を手に入れたという奇跡。
「延喜加持の巻」は護法の童子を派遣して帝の病気を治したこと。
「尼君の巻」は姉君がはるばる訪ねて来て静かな生活を送るようになったこと。・・である。
鳥獣戯画同様、護法の童子など、現代アニメの原型が随所にある。
そして、倉を背負った鉢が飛んできた場所が、本堂付近から片道20分程度の山の上にある空鉢堂。ここには水源がないので本堂脇から水を汲んでこれを持って山登りをする。
口ばっかりのOBたちはどこまで挑戦できるだろう。(エスケープコースも用意してある)
空鉢堂のすぐ横が、最後には信長に攻められた松永弾正久秀が名器・古天明平蜘蛛の釜を打ち砕いて自害した信貴山城の址。ただ山城であるのでその石垣等の跡を確認するためには相当の体力を要する。どこまで接近できるか自信はない。
毘沙門天というとその使いは百足(むかで)であるが、信貴山の毘沙門天といえば使いは有名な寅。
虎といえば開幕3戦目時点では首位であったが、あっという間に最下位になってしまった。
巻き返しを期待される向きは丁寧に祈願されるがよい。
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