先輩諸氏の敷かれたレールの上を転がっているだけだから大層なものではない。
ところで、4月14日付け朝日新聞・朝日歌壇に次のような歌があった。
高野公彦選 三島市福崎享子さん
ロボットが介護担ふ世は遠からぬ 夢だが誰も見たがらないゆめ
同感である。介護はつまるところ”人”だと私は思っている。そして、その”人”とは介護のスタッフだけでなく、家族もまた当然その”人”なのだろうと思う。
入居者と施設を繋ぐ家族会があって、介護により心がこもってくると信じている。
深い洞察もなく「家庭介護が幸せだ」「施設への入居は可哀相だ」という声も聴く。ほんとうにそうだろうか。先の歌壇には次のような2首もあった。
永田和宏選 埼玉県 島村久夫さん
死を願う心起こりしこと無きや母看る我に問いし人あり
同 大洲市 村上明美さん
親の死を待ってるような生き方はいやだがほかの選択がない
選者(永田和宏)評は、介護の精神的な辛さは明るい出口が望めないことにあろう。綺麗ごとでは済まない酷薄な現実がそこにはある。・・であった。
私が評すればこうなる。「どうして施設介護を選択しなかったの」。
私が評すればこうなる。「どうして施設介護を選択しなかったの」。
「現実」の辛さに額を寄せ合って暗い顔をしていても始まらない。というか、そういう現実があるからこそ明るい発想を大事にしている。
あなたも私も必ず到着する終着駅だ。楽しい終着駅をもっと模索してみたい。
義父の介護が比較的、楽で緩やかなこともあってこの2年間をむしろ懐かしくさえ思っていましたが、嫁はんと二人、にわかに今度は自分たちの事として考え始めています。楽しい終着駅、同感です。
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