2019年4月6日土曜日

天平2年の令月 大伴と万葉集

 私はこのブログの42日の『漢字文化圏の教養とは』で「新元号に嫌悪感はない」と書いたが、それは振り返ってみて、安倍首相がもっと酷い政治的元号を決定するのではないかという心配が先にあったから、一種の安堵感でそのように感じたきらいがある。

   しかし、河北新報の記事がズバリ指摘しているとおり、安倍首相が元号発表を己が政権の浮揚策に最大限利用し、後進国のメディアでさえも恥ずかしくなるようなヨイショの報道が大手メディアからこれでもかと繰り返され、それによって実際に政権支持率が上昇したという報道を聞くと、徐々に「一言は言っておきたい」気持ちがふつふつと膨らんできた。

 だいたいが先ず「はい令嬢の令ですね」という前に「えっ命令の令?」と感じたのが私の正直なところで、それが私の教養の水準であったが、それを笑うなら笑うがいい。それにそんな話はまだいい。

 そもそも元号に好字が選ばれるのは当然のことで、まさか漢字二文字だからといって悪魔とはつけないだろう。
 だとすると、この二文字の向こうに平和で穏やかな世の中を期待する気持ちは解らなくもないが、冷静に見て、元号ひとつで社会が変わるわけでもなく、昭和だって、あの戦争、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、そして敗戦を願ってつけたわけでもないだろう。
 
 それに安倍首相が「国書」「国書」と言ったのも非常に不正確なことは2日に書いた。
 中国南北朝時代の文選に収められた張衡(78-139)の「帰田賦」を踏まえて今般典拠の序文が漢文で綴られていることは疑いの余地がない。
 それは安倍晋三個人の中国嫌いとは関係ない。返って、安倍政権の教養の程度が露見しただけだ。
 しかも、帰田賦は歪んだ政治への批判というから天に唾したようなものだろう。
 和歌にしても漢詩にしても「本歌取り」の技術があり、そのことによって作品に重層的な厚みが出るのである。

 また2日のコメントに書いたが、安倍首相は梅の花と日本人をつなげて”ニッポンすごい!”を言うが、高名な万葉学者犬養孝先生は「当時の文化人からみたら梅は新しい花で、こんにちの人が見る梅の感覚と違います。たとえばこんにちの人が西洋の花をみて楽しむような、ある種のエキゾチックな感覚もあったんだろうと思います」と教示されている。
 それでいえば、当時の文化人は梅の花を通して、その先に華やかな中国文化を見ていたのだろうと思われるのも首相にとっては皮肉なことである。

 さてさて私はというと、2日にも書いたが、私の孫の名前は万葉集から頂いたし、土地柄(山城南部は奈良文化圏)もあり、天平時代や当時の仏教文化には好きを通り越して「大好き」な感情を抱いている。
 しかし、しかし、あまりのヨイショ記事の洪水には些か鼻白んでいるというのが正直な今の気分である。なので、もう少し語らせていただきたい。

 奈良県には「長屋王の呪い」という誰もが?知っている言葉がある。
 多くの考古学者らの反対の声をよそに平城宮跡の一角に奈良そごう百貨店が建設されたが、ご存知のとおり程なく閉店した。その跡に入ったイトーヨーカドーも程なく閉店した。その土地は長屋王の屋敷跡であった・・・。すべては長屋王の呪いと言って話は盛り上がる。

 728(神亀5)年、官歴からいっても年齢からいっても下位の藤原武智麻呂が大納言になる一方、本命と目されていた非藤原の名門の大伴旅人が太宰帥に体よく左遷させられた。
 翌729(神亀6)年(天平元年)、非藤原の強力な皇位継承候補者であった左大臣長屋王と、吉備内親王や息子たち諸王もことごとく冤罪によって謀殺された。(長屋王の変)
 
 その翌年730(天平2)年正月13日に大宰府の大伴旅人邸で宴が催され、客人たちが梅の花を題にして歌を32首うたったのである。万葉集のその序文が・初春令月・・である。
 主人はもちろん非藤原の旅人。客人は藤原派、非藤原派いろいろ。皆んなできるだけ平静を装って正月を祝うように明るく振る舞いつつ、心は京(みやこ)のこの先のことだったに違いない。
 直木孝次郎著『万葉集と古代史』には、「この時点で京に赴いていた朝集使はまだ帰っておらず、もっと正確な情報を知りたいと、風聞にやきもきしていたことと思われる」とある。
 ただ正確な情報は届いていたとみる説(小野老が帰任していた説)もある。
 いずれにしても、京の大変動を旅人は大宰府であれこれ聞くだけであっただろう。
 それも平家物語ではないが、藤原の一派独裁が進んでいく風聞が・・・。
 上田正昭監修、千田稔著『平城京の風景』の中の小見出しに「天平という名の非天平」というのがあるのはさすがである。

 そういう古代史を考えると、歌の表面にはない古代人の気持ちが見えてこないか。
 そうすると、私は、安倍首相が長々としゃべった様に、典拠の歌や序文がそんなに能天気なものではないように思うのだが如何だろう。
 729天平元年か翌2年か不明だが有名な山上憶良の「宴を罷(まか)る歌」がある。
 「お先に退席させていただきます。家では子供が泣いています。・・・」というものである。
 再び直木孝次郎先生の説を牽くと、大宰府のこの宴の”冷気”を最も敏感に感じ取った憶良が、主催者の旅人の気持ちを考え、座をお開きにする役を買って出て、・・一座の人は憶良の歌にどっと笑いくずれなごやかにおひらきになっただろう・・というもので、なるほど万葉学者の読みは深いとただただ感心している。
 あの序文の時代はそういう陰鬱な時代であり、それ故に(それだからこそ)歌は美々しく飾られたともいえよう。
 文字の美しさに比例して影が暗いというべきか。
 それだけに、あの軽薄な首相のおしゃべりに私はうんざりした。

 重ねて言うが「令和」が良くないと言っているのではないが、あまりの天真爛漫なヨイショ報道に踊って「万葉スゴイ」というような軽薄な言動は控えてもらいたいと思うのである。
 私的には、上野誠先生に”純粋な恋の歌”などから提案してもらえばよかったのにと独り呟くのである。元号の要不要は別にして。

 蛇足ながら、安倍首相には理解できないかもしれないが、古文ひとつとってもこのように奥は深いのである。光の裏には影がある。
 近頃、トコーソーというような実体のないワンイシューで選挙民を誘導しようとする維新などがいるが、ものごとをスパッと単純に語る人間は胡散臭いものである。
 以上が前説(まえせつ)で、落ち着いて理性的にものごとを直視すれば、今の日本には共産党議員が必要なことは論を待たないと私は考えているが、皆さん方にもご賢察をお願いしたいが本論でもある。
 取って付けたような本論で申し訳ない。

1 件のコメント:

  1.  中西進先生は帰田賦を踏まえて提案したのだろうと言っている人がいるが、根拠はないが同意したい。中西先生とあろうものが、春の宴会のめでたい言葉だ!程度の理解で提案するはずがないと思う。

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