一昔前の公文書の最後尾には「実施に当たっては遺漏なきを期されたい」というような決まり文句がよくあったが、中国は漢代の公文書のそれは「急々如律令」(この命令に基づいて速やかに行え)であった。
それを道教が取り入れて、願いごとの末尾に急々如律令と入れ「神様よ!これを実行せよ!」という呪符になり、ついにはこの文字だけで魔よけの有難い意味をもつようになった。
唯物論者の私から見るとナンセンスではあるが、その時代の人々が如何に心配事などのないようにと祈った気持ちが思い浮かべられて可愛い。
そんな気持ちもあってわが家には、『阿多古祀符火廼要慎』などのお札が貼ってある。
一般に呪符といわれるお札には楽しいものがある。
先日信貴山の朝護孫子寺に花見に行ったが、その参道に「十二月十二日/信貴山」と書かれたお札が天地逆さまに貼られていた。
本でしか知らなかったお札であった。
十二月十二日は彼の石川五右衛門が三条河原で釜ゆでにされたという日である。なので、そのお札を天地逆さまに貼っておくと泥棒に入られないという、泥棒除けのお札である。
そして私がもっと驚いたのは、岸和田の旧家の友人が、「うちにも今でも貼ったぁるでぇ」ということで、急速に消えゆきつつある民俗的旧習に目と耳で出会えたことである。
西王母よ 世の中を清掃せよ 急々如律令。
私はこの種の言い伝え(迷信も含めて)などが好きです。いま流行りのフェイクニュースなど人心を惑わすものと違って、綿々と受け継がれてきた事柄にはそれなりの理由があるのだと思います。 例えば「茶柱が立つと良い事がある」というのは、そもそもお茶の茎が混じっているのは高級なお茶葉とはいえず、茶柱が立つという事は上等のお茶ではないという事で、そうしたマイナスイメージを打ち消すために商売人が噂を広めたという事だそうです。
返信削除今やティーパックのお茶が主流で茶柱が立つこともありませんが便利さを追求するばかりの時代ではなく、こうした言い伝えは大事にしたいような気がします。
茶柱の蘊蓄、勉強になりました。
返信削除石川五右衛門の逆さ札、あまりに馬鹿々々しくて楽しいですね。
わが家の台所には「笠山荒神社」のお札も貼ってあります。御存じのとおり竈(かまど)の神さまです。