2019年4月9日火曜日

西アジアの重畳の歴史

 読み続けるのがしんどい本には何度も出会ったがこの本もそうだった。
 浅学の私はゾロアスター教は歴史の書棚のもので、現代社会に存在しているとは思っていなかった。
   それが、映画ボヘミアンラプソディーでフレディとその家族がゾロアスター教徒であり、容姿以外にもその辺りがイギリス人ら欧米人の差別の対象であったのではないかと想像するようになった。
 なので、現代に生きているゾロアスター教のことを知りたくなってこの本を購入した。

 感想の第一は、日本列島という明らかに地政学上の辺境に暮らしてきた我々は、とても民族の大移動というか興亡を繰り返してきたアジア・ヨーロッパ大陸の「大陸の歴史」のダイナミズムが実感として湧かないということだった。
 顔つきも言葉もそして信じる神も異なる民族が興り、移動し、犯され、はたまた消えるのである。あるいは復活する。
 イランとイラクの違いを実感として理解できていないことなどに大いに反省させられる。

 感想の第二は、確か映画では“パキ野郎”と字幕にあったように思うが、イスラムの国と思っていたパキスタンにゾロアスター教が残存できたのが謎で、これは仏教が日本の神々と融合したようにイスラム教と融合したのか、あるいは妥協したのか。
 東南アジアの上座部仏教徒からすると、日本の仏教は「これが仏教?」と驚くかもしれないが、そういう風にゾロアスター教も分岐して「これが原理」とは単純に言えなくなっているようだ。

 第三は、私としては、よく似た時代によく似た場所(ガンダーラなど)を通過した仏教とゾロアスター教がどのように影響し合ったのか。もっと言えばどう混淆したのかが大きな関心だったが、この本ではその方向の分析は非常に少なかった。
 
 結局、これを機会に徐々にでも研究してみたいという感想で終わるのだが、民俗学に興味が惹かれる私としては、護摩木供養や火渡り、お盆の送り火、果ては修二会のお松明の源流にゾロアスター教を想像する。
 仏教もキリスト教もイスラム教も、ゾロアスター教の神学で育った気もする。
 この思索の先は長い。

2 件のコメント:

  1. わたし、同じ先生の『アーリア人』は読みました。

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  2.  西アジアの歴史=中東・イスラーム世界と見るのは正確ではない。古代オリエント時代の最終ランナーにしてイスラーム時代の先駆者=アーリア民族と先生は示唆されています。
     紀元前12~9世紀ごろ、古代アーリア民族の宗教観念が充満する中央アジア~イラン高原東部から、ザラスシュトラ・スピターマ(ツァラトゥストラ/ゾロアスター)という神官が現れ、新たな教えをもたらしたのですね。

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