2019年4月23日火曜日

自然体

 先日の元号発表で国書だ!国書だ!と騒いだ人がいるが、いつの間に少なくない日本人はこんなに小人物になったのだろう。
 漢字の奥には重畳たる中国文明があり、同時に訓読みやひらがなカタカナ、和製熟語という日本独特の発明があるのだから、東アジアの文明の中に自らを卑下する必要もないし、夜郎自大になることもない。

 先日私は、鯉のぼりの由来は後漢書の龍門にあるが、鯉の形にして空に泳がせたのは江戸期の名無しの職人だと書いた。
 万葉集の評価も過不足なく行うがいい。
 中国文明も素晴らしいし、換骨奪胎して自国の文化にした日本も素晴らしい。過不足なく、過不足なく。
 武道の基本は自然体。

   わが家の庭にはそこそこの大きさの鯉のぼりが泳いでいる。もちろん息子ファミリーに居る孫と娘ファミリーに居る孫のためである。
 ところが、親切の押し売りとその代価ではないが、二人の孫は祖父母の期待ほどには喜んでくれない。
 まあ、自分に子どもが出来た時にしみじみ思い出すだろうとは信じているが。
 そして、小さな孫は百均で買ってきた小さな鯉のぼりを振っては喜んでいる。

 なるほど、大きな鯉のぼりに対して自分(孫)は単なる鑑賞者(観客)でしかないが、小さな鯉のぼりは自分が操っている主役なのだ。
 同じように、5月にはOB会のパーティーがあるが、出席者に主役になってもらう工夫がいる。
 難しいことだが、そのように考え抜いてくれているという熱意は伝わるはずだと信じたい。

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