「生物が何か別のものに姿や声、匂いなどを似せることを擬態という」というのは丸山宗利先生の本にある。
実態は私腹を肥やすのに汲々としているのに改革者の顔をしている維新などは擬態の最たるものかもしれないが、そんな低レベルの人間の話ではない。
木の葉そっくりのコノハムシは「隠蔽擬態」と「扮装擬態」。
見た目だけでなく体表の成分(匂い)まで似せる「化学擬態」。
そのハイレベルな「ワズマン型擬態」。
自分は無毒なのに有毒な「虎の威を借る」「ベイツ型擬態」。
毒のある者同士、不味い者同士互いに似せ合って捕食者に「学習」させる「ミューラー型擬態」。
自分が攻撃するための擬態と防禦するための擬態。
その外、音の擬態。
「警告擬態」等それらの混合型・・等々と本にはある。
「擬態」のメカニズムを神(造物主)の力を借りずに考え抜くと、「突然変異と自然選択の膨大な積み重ねによる進化の結果」となる。
実際に昆虫と捕食者の関係も単純ではなく、「マークシート型受験勉強」では追いつかない。
こんな話を書いてみたくなったのは、庭にやってきた写真のヒメウラナミジャノメの「蛇の目」について確認したところ、昆虫図鑑には、「ジャノメチョウのグループは翅に目玉もようを持っています。敵である鳥は、生き物の眼を狙って襲うため、目玉もようを眼だと思って襲ってきます。翅は欠けてしまいますが、体の大事な部分は守られ、生き延びることができるのです」と書いてあり、・・・
別の頁には、「昆虫たちの隠し業は目玉もよう。目玉もようを見せて敵を驚かす業です。中には、一度にたくさんの目玉を見せる種もいます」とあったから。
少し大きな「目玉もよう」は田圃の鳥脅しにもあるが、それにしても一つの本の中でこれはないのでは。
というほどに、擬態の理由は解っているようで解っていないことも多い。
実験では、多くの鳥類が目玉もようを嫌うとあり、それは蛇やフクロウの目に由来しているのだろうという。
また、ハエトリグモは目玉もように襲いかかり、結果としてチョウは生き延びるともある。
誰か「子ども電話相談」に「永遠の5歳で~す」と言って尋ねてくれないだろうか。
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