2018年11月13日火曜日

石原莞爾と2・26事件

 11月2日と6日に石原莞爾のことを書いた。昭和天皇が2・26事件の際に「一体石原といふ人間はどんな人間なのかよく判らない」と言ったということも書いた。
   そんなもので、澤地久枝著『昭和史の謎・2・26事件最後の秘録 雪はよごれていた』を読んでみた。
 結果は、249ページ中5箇所(5ページ)に石原はさらっと出てきただけだった。
 なので、2・26事件から石原莞爾の本質に迫ることは適わなかった。

 この本は、東京陸軍軍法会議主任検察官匂坂春平の遺品の中にあった片手では持てないほどの資料そのものといってもよい。
 そして、陸軍中央の犯罪に迫りながら、あと一歩のところで適わなかった「文官」の無念の記録である。

 2・26事件は陸軍中央が大いに関与した「クーデター計画」であったが、それ故に真相究明によっては陸軍が空中分解しかねないものであった。
 匂坂春平は陸軍高官の嘘やすっとぼけを追及するのだが、結局は現場の将校が死刑(口封じ)にされて一件落着となっていった。
 本を読みながら私は、何回「森友と同じだ!」※と思ったか知れない。

 反対にいえば、森友にも共通するこういう嘘を許せば、結局は国が破滅に向かうというのが教訓ではないかと心に響いた。
 それにこのときの叛乱軍の合い言葉は「昭和維新」であったから、嘘と無法をまき散らす同じような現代の政党の危険性にも悪寒が走った。

 結局石原莞爾のことは深められなかったが、非常に参考になる歴史の勉強になった。
 余談ながらこの本、昭和63年当時定価¥1200であったが、Amazonで価格¥74、送料¥256であった。

 ※ 森友では「知らない」「忘れた」「記録はない」「廃棄した」はては「部下が勝手に改竄した」という大嘘があった。

 そして2・26事件で陸軍幹部たちは「陸軍大臣告示」なるものを知った時刻、官邸に到着した時刻等について「時刻は判然(はっきり)いたしませぬが」「参謀であったと思いますが、あるいは違うかも知れません」などとのらりくらりと述べている。
 そも軍隊の作戦命令等で陣地を挟み撃ちにする場面であれば、1分以下の単位もおろそかにできない。時刻の指定や記録は絶対である。A部隊には〇時〇分に突入せよと言って、B部隊にはA部隊の反対側から『〇日の昼から合流・突入せよ』などということはあり得ない。軍隊にとって時刻は絶対で、曖昧さやニュアンスによって忖度せよという表現はありえない。
 それを揃いも揃って、口裏を合わせてむにゃむにゃむにゃと検察官に述べているということは口裏を合わせて重要事項を隠したということである。

 戦後レジームからの脱却を言い戦前回帰を露骨に表明している安倍内閣が、揃いも揃って大嘘を突く沿革は、なるほど昭和初期の軍隊にあったのかと妙に感心した。
 南スーダンの日誌問題これあり、時代は妙に再現ドラマに似てきている。

1 件のコメント:

  1.  空襲で陸軍省が焼けたのは事実だが、その時点では帝国陸軍の機能はまだ「健在」だった。重要記録は疎開されていた。しかし敗戦の後、占領軍到達以前に軍人自ら『2・26裁判記録』を焼却した。・・著者はそう断言している。

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