今日のタイトルは老朗介護。
さて、1年に数回、回線がびっくりするほど繋がるときがある。
稲刈りは終わったやろうな!
正月の前には餅つきや!
誰々さんはどうしている? 等々とこちらが驚くほど饒舌になる。
ただ、よく聞くとどうも場面は義母が実家にいる小さい頃。
私も娘婿ではなく、同じ垣内(かいと)の近所の人になってしまった。
それを違和感と思うか当然と思うか。
その事実(認識)を訂正することに何の意味があろうか。
私はもっぱら相槌を打って垣内の住人になる。
一種の躁状態だろうか、夜中に引き出しの中を確認しまくったり電動ベッドのコントローラーが気になったりで大変だったようだ。
それを、当然のこととして対処してくれる施設のスタッフは神様だ。
外は寒かったが何となく小春日和のように感じた。
先日の音楽療法士による集いの後も、「いつまでも童謡では自分が入居した時にはちょっとねえ」と私は注文をつけたのだが、やっぱり最後は子どもの頃に帰るから正解なのかも知れない。
『里の秋』も、場数を踏むと私自身郷愁と背中合わせになる。
時空超え母は兄ちゃんと吾を呼ぶ
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