2018年11月1日木曜日

古代史を修正するな


1029日に衆議院本会議であった政権与党・自民党の代表質問(稲田朋美氏)によると、「歴史を遡れば、聖徳太子の『和を以て貴しとなす』という多数な意見の尊重と、徹底した議論による決定という民主主義の基本は、我が国古来の伝統であり、敗戦後に連合国から教えられたものではありません」らしい。

   TV番組のタイトルなら、さながら「飛鳥時代から民主主義だった日本はスゴイ!」だろう。
内田樹氏風にいえば、こういうのは「知性を欠いているのでなく、知性を憎んでいる」レベルの珍説だと私は思う。
   例えば敗戦後まで女性には参政権すらなかったが、民主主義国家だったのだと!!

   国民の大多数はあまりにバカバカし過ぎてそんな舞台に登らないだろうから、あえて私はその舞台に乗ってみよう。
さて、日本書紀に記された十七条憲法第一条は巷間「和を以て貴しとなす」という文言だけが独り歩きしている感があるが、正しくは「和を以て貴しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ」と続き、さらに続いている。稲田さん、引用するなら条文は正確に述べましょう。

そして第三条の主文は「詔(みことのり)を承(うけたまわ)りては必ず謹(つつし)め」で、その意訳は「天皇の命令には必ず従いなさい」東野治之著『聖徳太子』(岩波ジュニア新書)である。

どちらかと言えば、豪族割拠の飛鳥時代の現実を超えて(それゆえに聖徳太子の作ではないという説もあるが)、当時としてはありえないような君主絶対の理念や体制が説かれている(書かれている)というのが特徴で、結論は稲田発言と真逆である。

稲田朋美氏は、大多数の国民は十七条憲法など読んでもいないだろうと、一部を摘んで曲解した珍説を国会の場で発言したのである。いや騙そうとしたという方が正確だろう。

現代社会の稲田朋美氏の数々の無責任や特異な右翼思想については多々批判されているが、古代史を学ぶ一市民としてこんな珍説は絶対に許せない。

 ということを声を大にして言いたいのは、戦前は、例えば美濃部達吉氏の見解も津田左右吉氏の見解もごく普通の学問であった。今から見ると現実の天皇(制)にも配慮したような極めて穏健な学説であった。
   それを、右翼思想に駆られた軍人らが「それでも不満」と攻撃し、狂信的な皇国を造っていったのである。

 当時もごく普通の常識人は「そんな馬鹿な」とは思っていたが、大きな声に出さぬまま「声の出せない」戦前が完成したのである。
   古代史を修正するものは実は近代史の修正を本丸としているのだ。そしてそれは現代に繋がっている。
   珍説・狂信を鼻で笑っているだけでは済まない所以である。タイトルはやはり「近代史を修正するな!」だったかな。
   (この記事は「聖徳太子」等世間一般の用語を用いて書いている)

   10月12日の教育勅語のときに書いたが、稲田論法は「山口組の綱領には善いことが書いてあるから山口組は立派な団体だ」と言っているのと全く変わらない。

1 件のコメント:

  1.  戦前の言論弾圧を見ていると、常識では到底支持できない狂信的な「問答無用」が通っている。
     現代の安倍首相の国会答弁や稲田代表質問はそれらと同じレベルにある。
     だから、大馬鹿者には「大馬鹿者めが!」と声を上げることが大切だ。

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