2025年5月19日月曜日

柿若葉

      
柿若葉フィトンチッドや吾も孫も
 
    柿若葉は初夏の季語。季語になるだけの存在感がある。生命力を感じる。
 さて孫の凜ちゃんは度々某大学病院に行かなければならないが、午前から午後にかけて幾つかの診療科を回ることもあり、そんなときは必然的に病院内で昼食を摂ることになる。
 診察途中の病院内の昼食が美味しいはずもないが、だからといって手を抜けばさらに寂しくなる。
 だから先日は、庭の柿若葉を十枚ほど持参して、これを小皿(おてしょ)の代わりにしたら、昼食の弁当もちょっとしたピクニックになった。
 大学病院は周りが緑の山手にある。
 柿の葉寿司の例もあるから食器として問題もないだろうし、「相」の字ではないが、「木を目で見る」ことは当方の生命力を助ける。
 相の字には助けるという意味があるから大臣のことを〇〇相という。 

2025年5月18日日曜日

読まず嫌い

    食わず(読まず)嫌いであった。 
 だいたいが「動的平衡」という言葉そのもののイメージが湧かなかった。
 だから朝日新聞の連載でも、その後の書店での立ち読みでも、読書意欲が生まれず、生命倫理かなんかの本かと手にも取らなかった。
 それに、別途購入したことのある高校の物理、数学、英語を学びなおすような本は、ことごとく挫折を繰り返してきた経験もある。
 そこで、「今回もまあそのように挫折してもよいか」と半ば冷めた感じ(ダメモト)で購入したのがこの本である。
 だから読み始める前の先入観はゼロだった。

 いつものように、これは書評でもないし読書感想文でもないが、あえて言えば科学研究の周りのエッセイらしく、まったくの素人の私にも非常に楽しく読み進められた。
 と言いながら、鋭い哲学的切口が随所にあり、感心しきりだった。
 
 さて、と言って一つも紹介しないというのもパッとしないので一つだけ披露すると、著者は、込み入った論考の文章は、電子ファイルでなく紙にプリントアウトして読むらしい。それについて・・、
 「これは、我ら年寄り世代の郷愁にすぎないのであろうか。必ずしもそうではない。生物の視覚は動くものに敏感だ。それは敵あるいは獲物かもしれない。反射的にすぐ行動する必要がある。・・一方、じっくり観察し、分析し、思索を深めるためには、対象物が止まっている必要がある。・・コンピューターやスマホの画面の文字は、止まっているようでいて実は絶えず動いている。電気的な処理でピクセルを高速で明滅させているから、文字や画像はいつも細かく震えているのだ」というのも、目から鱗というよりも、「やっぱりそうだったんだ」と納得した。
 よって、興味が湧けば、この新書を手にとって読まれることをお勧めする。けっこう面白い。著者がカジノ万博に加担しているという生臭い話は別にして。

 ※ この本の話を妻にしたところ、そのいくつかの章のことは、「ラジオで聞いて知っている」とのことで、頑なな書籍重視派はぎゃふんと言わされた。

2025年5月17日土曜日

メディアのタブー

    古い話だが現職の時代、わが労働組合が行政研究活動の一環でパートタイム労働の実態調査と法制度改善の提言を行い、それがテレビのワイドショーでも取り上げられたことがある。
 その本筋の話はさておき、その番組のためにテレビ局を度々訪れた組合員が、「テレビ局内では卑猥な話が大ぴらに話されていて驚いた」といくつかの事実をあげて語ってくれたことがある。
 だから、例の「女子アナの上納」などという週刊誌報道があった際、他の局も含めてそんな話はあっただろうなあと私は感じたが、その前のジャニーズ問題も含め、マスメディアはズーとそれをタブーにして、見て見ぬふりをしてきた。

    その種のタブーの一つが、「共産党の主張はできるだけ無視する」というものではないかと思う。
 今日的にはそれは「消費税減税の財源論」に端的に表れている。例えば12日の衆院予算委員会集中審議である。
 共産党のたつみコータローは、「社会保障の財源をどうするかなどを話さないで消費税減税だけの話をするのは無責任だ」という首相に対して、「私たちは国債を発行して財源に充てるとの無責任な提案はしていない」と強調し、大企業や大金持ち減税の是正や、軍事費の削減、政党助成金の廃止など20兆円を超える財源を確保できると提案した。
 これには、毎年数十兆円規模で借金を増やし続けることになる国民民主党、れいわ新選組などの論が念頭にあるのか、首相も「御党の安易に国債発行に頼らない姿勢は本当に立派だ」と答弁せざるを得なかった。(公明党も赤字国債発行を選択肢としている)

 ところがマスメディアはこの議論を「あえて」黙殺し、「(共産以外の)野党の論の不備を突き、「財源を棚上げしバラマキばかりを主張しているようではとても国政の舵取りは担えない」というような「解説」をして、与党(権力)を応援している。
 ひどい大企業優遇税制やアメリカ言いなりの際限のない軍事費増強は「絶対に触れない」タブーなのだろう。
 ということは、その真実をタブーなく追及する共産党を大きくするのが、物価高騰から暮らしを守る上で一番大切なことだと言えるのではないか。

2025年5月16日金曜日

ジャスミンの香り

    先日来、家のドアを開けると近所のジャスミンの香りがボワア~~ンと押し寄せてくる。
 それはジャスミンティーだとか香水と呼べるレベルをはるかに超えていて、ムムムという感じ。
 過ぎたるは・・なんとかで、正直に言えば香害に近い。
 ただ、近所のジャスミンに負けず劣らずわが家のエゴノキも満開で、甲乙つけがたいからお互い様である。
 エゴノキはエゴノキで昆虫を呼んで受粉をしてもらおうと必死だろうし、そういう意味ではこの種の香りはいわば媚薬であるのは間違いない。クマバチは狂喜乱舞している。

    さて下の写真の花が何かお解りだろうか。蕾の状況からすると数日先には満開になるだろう。
 答を言えば、菊菜=春菊で、冬の間はわが家のビタミン補給に大いに貢献してくれたもの。
 最後に有終の美を咲かせてやろうとあえて放っておいた。春菊ありがとう。


    最後の写真はタイワンタケクマバチ(台湾竹熊蜂)だろう。近頃急速に増加している。飛んでいるときには普通のキムネクマバチなどと見分けがつかない。
 そういえば上のエゴノキの写真のもタイワンタケクマバチの可能性が高い。

2025年5月15日木曜日

観音さんの水晶玉

    東大寺法華堂(三月堂)は二月堂の隣にある。
 低山登山にも弱音を吐いている私には、大仏殿から法華堂までのこのなだらかな坂道?が「登山」の限界みたいに感じられる。
 法華堂の堂内には本尊の不空羂索観音像を中心に合計10体(国宝、奈良時代)の仏像がところ狭しと立ち並んでいる。
 ここの好いところは畳敷きの大きな縁台のような拝観?スペースがあることで、ここに静かに座ってしばし心を空にできることである。
 大仏殿とは別に拝観料がいるためか、何時もおおむね静かで空気が落ち着いている。
 ただ先日はいつもと違って幼稚園の遠足があったので、例によって静かに座りながらも、仏たちよりも幼児たちの動きを見ていた。
 見ていると、先生が正面の観音さんの合掌している手の間に水晶玉があると説明し、幼児たちは次々に「アッ見えた」「見えた」と言い出した。
 実はこのお堂は平成22年(2010)から25年(2013)にかけて大規模な修理事業が行われ、その際照明もLEDに変更されたのだが、私の経験ではそれ以降水晶玉は見えなくなった。
 そして今回も、いろいろ角度を変えて眺めたりしたがやはり見えなかった。
 野暮は言うまい、幼児たちは見たのである。
 幼児たちが出てから堂守の方に、「見えなくなった大人の負けですわ」と言って笑いあった。

2025年5月14日水曜日

ギネス 知らなかった

    だいぶ以前にギネスの缶ビールを買ったが、もう一つ美味くなかった。
 冷蔵庫の一番冷える場所に置いていたのでビールの一部が凍ってしまったらしい。事実、缶の中で氷の塊がコロッと動くのがわかった。
 その氷はそのうちに溶けるだろうと、残った缶は冷蔵庫に置いておいた。
 そして今回、飲んでみたがやはりそれは溶けずにコロッと残っていた。どうしたことだ!(怒)

 で、缶の後始末してくれていた妻が、「どうも氷ではないで」「指で触ってみたら」と私に教えてくれたので、缶切りで上を開けてみるとナント!
 それは缶にも書かれていたが、・・そんなもの読みもしなかった#$%&。
 ギネスの説明文を次に記す。
 🔳 ドラフトギネス缶の中に入っている白い球は、豊かでクリーミィな泡をつくりだす球型カプセルです。「フローティング・ウィジェット」と呼ばれ、ギネス独特のサージング(泡立ち)を起こします。大きめのグラスにゆっくりと注いだときに見られるサージングの様子を「カスケードショー※」と呼んでおり、美味しいギネスを味わう前の楽しみでもあります。
 ・カスケードショーとは、注いだ直後から泡がおさまるまでの間、グラス内部に見られるギネス独特のサージングの様子です。きめ細かい泡が次から次へと滝のように流れてみえるのを、Cascade(英語で、小さく連なる滝・液体の滝状の流れ)に例えました。
・「フローティング・ウィジェット」の素材はポリプロピレン製です。タッパーやお皿などさまざまな容器に広く使用されています。また、日本の食品衛生法にも適合した素材です🔳

 知らなかった、知らなかった。そういえば確かに泡はクリーミーだったが、だとすればあの「美味しくない」感覚は何だったのだろう。
 「黒ビールは日本製に限る」これが私の教訓だ。

2025年5月13日火曜日

歴史も古い交野

    本来なら明日は退職者会のハイキングに参加するつもりでいたところだが、近頃息切れがひどく、わずかな傾斜の「登り」に全く自信を無くしていて不参加を選択した。 
 行先は交野(かたの)の交野山(こうのさん)だったが、交野というと桓武天皇が道教に基く天神の祭りを行ったことで有名だが、現在の交野市、枚方市のどこで行ったかは特定はされていない。
 私が桓武なら、交野山の巨岩の上で四方を拝したいが・・・。

 桓武天皇といえば、先の平成の天皇(現上皇)が平城京遷都1300年祭やサッカーワールドカップ日韓共同開催の式典の折、「私自身、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫だと続日本紀に書いてあることにゆかりを感じる」旨の「お言葉」を話されたことに驚き、先の天皇の人柄には大いに感銘を受けたことを思い出す。
 桓武天皇の生母は高野新笠(たかののにいがさ)で、神話的には遠祖は河伯(道教の水神・カッパ)の娘。

 そんな歴史の香りを感じながら歩きたかったが、もう人に迷惑をかける年齢になった。
 写真は、自分が巨岩の上に登ったものを探したがなかなか見つからないので、ネットにあった好日山荘のものを拝借。

2025年5月12日月曜日

初夏を告げるウスイエンドウ

    CMなら「春を告げる」というところだが、5月5日が立夏であったから正確には初夏を告げるウスイエンドウ である。
 現在の大阪府羽曳野市碓井(うすい)地区で栽培が始まったので碓井豌豆だが、今は和歌山が主要な生産地になっている。大阪の人でも大阪発祥というのを知らない人が多いが仕方がない。

 ウスイエンドウをグリーンピースだと誤解している人もいるが、食べれば判る。似て非なるものと言いたい。全く違う。
 わが家の狭い家庭菜園で10日に初収穫をしたのが上の写真。収穫本番はこれからのこと。

    栽培そのものは放っておけばよいだけのことだが、莢(さや)を剥くのはけっこうな作業量。
 12日の夕飯は孫の凜ちゃんの大好物、豆ごはんである。
 そして七十五日寿命が延びる。
 豆ごはんの写真は後日アップする予定。

    ※豆ごはん、アップします。(12日朝)

2025年5月11日日曜日

印パのニュースに思う

    印パの交戦のニュースを観ていると、兵器の主流はドローンやミサイルで、後方部隊である「防空システム」
 などが標的にして攻撃されている。時代の変化を感じる。
 一つひとつのドローンに反撃するだけでなく、後方の部隊を叩くというのも今日的だ。
 と考えると、仮想敵国からすれば、国内最大規模になろうとする祝園弾薬庫は優先的な標的になるだろう。
 その300億円をかける祝園弾薬庫の拡充問題は、町議会議員選挙の大事な判断基準だろう。
 精華町の町議会議員選挙は今日11日が投票日だ。

ショウブの鉢巻き

    医学をはじめとする自然科学が未発達の時代、人々は経験やその他の知見をフル活用して宗教行事のようなものができていった。
 それをバカバカしいとか古臭いとかいうのは容易いが、その時代のそういう行事のようなものを推測しようとしなければ歴史はほんとうには掴めないし大体がそういう歴史認識では人生感も貧相になる。そういう風に思って古い習慣を私は大事にしている。

 私自身は迷信だとか「」付きの習慣のようなものに極めてクールだが、世の中を見渡せばけっこうそういうものに影響されている人も少なくない。そしてそういう人に限ってメジャーにはなっていない古い習慣等には冷淡に思える。

 GWには来れなかった孫の凜ちゃんが来たので、ショウブ湯を沸かしてショウブの鉢巻きをさせた。
 ショウブの鉢巻きで病気にならないなどと小指の先ほども考えてはいないが、「小さい頃に祖父ちゃんからショウブの鉢巻きを教えてもらった」記憶はどこかに残るだろう。それでいい。

 NHK BSの「日本縦断こころ旅」を楽しく見ているが、その魅力の一番はその土地の風景などではなく「お手紙」の内容で、少なくないそれは、生前の祖父母や父母との思い出の風景である。それがいい。
 ショウブの鉢巻き、祖父ちゃんの思い出、それでいい。

2025年5月10日土曜日

メッセージの伝え方

    先日友人から悩みを打ち明けられた。
 「近頃は長い文書は読んでもらえない。だからといってキャッチフレーズみたいな話では現に複雑な問題を話しきれない」‥という内容だった。
 問題意識はよく判ったが、私にも「即効薬」みたいな答えはなかった。
 故井上ひさし氏は、むずかしいことをやさしく・・・まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに・・と諭されたが、それはけっこう上級編かも。
 経験的に感じていることは、どこかの論文の受け売りみたいな話は全く意味がないということ。
 自分の身近にあった経験とそのことに関わる感情みたいなものを吐露すればいいのではないだろうか。
 結局、一周廻って人間性だと言ってしまえばなおさらハードルは高くなるか。
 そんなことをあれやこれや悩みながら自分をさらしていけば一人や二人は「人生意気に感じる」ぐらいのことは言ってくれるだろう。
 故益川敏英氏は、ノーベル賞受賞対象の研究を進めていた時期、京大理学部職員組合の書記長で、後に著書では「二足のわらじが履けなきゃ一人前じゃねえ」と啖呵に似た発言をされていた。むむむむ。
 5月6月は二つの性格の異なるニュースを製作するが、この多忙を愉快だと思うかどうかで人は試される。でしょ、ご同輩!

2025年5月8日木曜日

大きな最終盤

    大都市の方々には想像もできないだろうが、町議会議員選挙となると6日に公示された選挙が11日に投開票となるので、短距離も短距離、もうゴール目前となっている。 
 そういう風に聞くと「田舎の小さな自治体ののんびりした風景」を想像されるだろうが、実は全国で600億円の内の約300億円かけて祝園弾薬庫の施設を増強(14棟増設)するという大問題が問われている。
 戦前の軍隊は陸軍と海軍が仲が悪かったので有名だが、この弾薬庫は全国で唯一、陸上自衛隊と海上自衛隊が「知らぬ間に」共用するように変更されている。
 今トランプが日本政府に難癖をつけているが、それ以前から日本政府は新型の日本車の輸出の見返りに中古のトマホークなどの武器を大量に買わされてきた。
 トマホークは海軍が使用する長距離巡航ミサイルだ。
 「京都府内の高速道路が整備されて日本海での海釣りが便利になった」などと喜んでいるうちに、祝園弾薬庫にミサイルを保管しておけば、高速道路で舞鶴まで一直線だ!ということになっている。
 「軍事力を強めれば平和が保たれる」という勘違いもあるが、いくら「防衛力だ」と言っても外国にとっては「嫌な戦力」以外の何物でもない。そういう軍拡競争こそが不測の事態の火種になりかねない。
 昨今「敵基地先制攻撃」が普通に話されるようになっているが、それを裏返せば、巨大な弾薬庫は先制攻撃される目標になる。その隣には大きなニュータウンや学術研究施設がある。嘘のようなことが進んでいる。
 小さな町の町議会議員選挙だが大きな選挙だ。お知り合いの方々にも声をかけていただければ幸いだ。

神は細部に宿る

    『神は細部に宿る』との格言がある。
 例えば、一年に一回のパーティーをどう企画するかというようなときに、どこまで準備をするかが問題になる。
 ただ、あまりそれを言うと「そんな難しいことを・・」と拒絶反応が先に立つから、ともすれば「今までどおりでええやん」という意見が現実的な正論のようになる。
 しかしそうだろうか。
 私はああでもないこうでもないと細部まで考え抜いて結果スベッタリする方が尊いように思う。

 先日、地元の議員選挙の出発式があり、「地元代表で挨拶をしてくれ」ということになった。
 「請われれば一差し舞え」との言葉もあるから承諾したが、さて何を話すべきか。まあ、それはあるにはある。
 それよりも悩んだのは「話のツカミ」という細部であった。
 選挙だからと言って堅い話は全くNGだ。長い話もNGだ。
 そこで自己紹介で「町の端に住んでいる」「内田樹先生風に言えば町の辺境の住人だ」と話を始めて「辺境にも辺境なりの住民要求がある」と語ると大きく笑ってもらえた。※内田樹著「日本辺境論」は2010新書大賞
 
 ヒトはよく私に「話すのに苦労はないやろ」「文章も苦もないやろ」などと言ってくれるが、実際は、話のツカミだけでもこのように一晩中考えているのだ。
 みんなそういうものだろう。結果の以前には「細部に神が宿っている」のだ。

2025年5月7日水曜日

カズー購入

    昨年5月にカズーの合奏を行ったパーティーから1年が経過した。
 
 今年はパーティーの企画について私からは何も提案しなかったが、多くの人から「今年もカズー合奏をやろう」ということになり、ついては購入についての事務処理をよろしくと依頼された。
 そこで廉価なものはないかとネットをググり、18個  1,727円というのをポチッとして購入した。(ちなみにズーっと以前に私はほとんど変わりのないMADE IN ENGLAND のものを1個2,000円程で購入したゾ???)

 願わくは、このカズーをどのように「活かして」パーティーを盛り上げるかだが、それは新しい企画担当メンバーに期待しよう。若い世代ガンバレ!
 頼むから棒立ちで吹いてほしくないな。楽器だと思ってスウィングしながら吹いてほしいものだ。
 カズーはアフリカ発祥の楽器で黒人奴隷によってアメリカ南部のジャズに取り入れられたもの。間違ってもオモチャなどと言ってほしくない。

 先日はメーデーに持参したが、宣伝カーからは一切歌唱指導がなかったので、半ばヤケクソでシュプレヒコールをカズーで唱和した。
 パレード(デモ行進)にカズー! そのうちに流行るかもしれない。 ・・?そんなことないか。

2025年5月6日火曜日

竹川マスオさんが出発

    精華町町議会議員選挙が始まった。
 身近なことでいえば、現実とマッチしていないゴミステーションの問題、大きなところでは舞鶴の海上自衛隊用のミサイルを増強する祝園(ほうその)弾薬庫の問題、新しいことでは、AI(人工知能)時代の巨大なデータセンターの諸問題。
 まるで高齢化社会問題、軍拡反対の平和問題、AI時代の桁違いの環境問題など、日本の将来を問う縮図のような選挙だ。
 そんな選挙に、竹川マスオさんが南部地域から元気よく出発した。
 及ばずながら一言応援の言葉を述べさせていただいた。

汨羅に入水

 昨日は粽(ちまき)の故事を書いたので、改めて陳舜臣著「十八史略」の該当部分を読み直したが、やはり内容が膨大過ぎるので以下のとおりwikipediaのコピペに戻った。
    🔳 屈原(紀元前
343年)頃 ー紀元前278年)頃は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。
 秦の張儀の謀略を見抜き、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。春秋戦国時代を代表する詩人としても有名である。
 当時の楚は、西の秦といかに向き合っていくかが主要な外交問題で、親秦派と東の斉と同盟することで秦に対抗しようとする親斉派があり、屈原は親斉派の筆頭であった。
 当時の楚では屈原の政治能力は群を抜いていたが非常に剛直な性格のために同僚から嫉妬されて讒言を受け、王の傍から遠ざけられると同時に国内世論は親秦派に傾いた。
 屈原は「秦は信用ならない」と必死で説いたが、受け入れらず、屈原の心配どおり秦の謀略家張儀の罠に懐王が引っかかり、楚軍は大敗し、大敗後屈原は一層疎んぜられて左遷され政権から遠ざけられた。
 秦は懐王に縁談を持ちかけ秦に来るように申し入れた。
 屈原は秦は信用がならない、先年騙されたことを忘れたのかと諫めたが懐王は親秦派の公子子蘭に勧められて秦に行き、秦に監禁されてしまった。
 楚では頃襄王を立て、頃襄王の令尹(丞相)として屈原が嫌いぬいた子蘭が着任したため、更に追われて江南へ左遷された。
 頃襄王21年(紀元前278年)、秦により首都郢が陥落したことで楚の将来に絶望し、55日の端午に石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水自殺した。
 屈原の強烈な愛国の情溢れる詩は楚の詩を集めた『楚辞』の中で代表とされ、その中でも代表作とされる『離騒』は後世の愛国の士から愛された。
 後に55日の命日には、屈原の無念を鎮めるため、人々は楝樹の葉に米の飯を五色の糸で縛って、川に投げ込むようになった。これが粽(ちまき)の由来といわれる(あくまで故事)。また、伝統的な競艇競技であるドラゴンボート(龍船)は「入水した屈原を救出しようと民衆が、先を争って船を出した」という故事が由来であると伝えられている。🔳
 相当昔、職場の先輩に中国史が好きな人が何人かいて、よく麻雀をしながら「べきら」「べきら」としゃべっていた。そんなことから『屈原の汨羅入水』は勝手に覚えてしまった。そんなことを五月五日に思い出した。

2025年5月5日月曜日

端午の節句は道教

    今日は端午の節句。
 伝統行事の多くが中国にルーツを持つ日本という国の中で、鯉のぼりだけは中国にはないというのも面白い。
 お祭りのときに神社に立てられる大きな縦長の旗は神が降臨する憑代(よりしろ)だが、これこそが鯉のぼりのルーツらしい。それでも「登龍門」、鯉の滝登りという中国の伝説に拠っているのでやっぱり中国文化からは離れられない。
 粽(ちまき)は(中国の)戦国時代屈原(くつげん)が汨羅(べきら)の淵に身を沈めたという故事が人口に膾炙しているが、江南の民族が日常食としていた粽を供えたと考える方が素直だろう。
    ショウブやヨモギは前漢の頃から辟邪・辟病の仙薬(万能薬)であり、ショウブ酒、ショウブ湯となったことは容易に想像できる。日本でも中世までは宮中でヨモギ人形を飾ったが、これが武者人形の一つのルーツだといわれている。
 わが家ではショウブ湯から出るときに一本抜いて鉢巻にすることとなっている。辟病だ。
 要するに全体としては古い中国の文化=つまりは道教の文化の上に立っているのにそれに気づかないのは天動説の論者と変わらない。
 その種の古くからの日本の「行事」を馬鹿にしながら、やれバレンタインデーだ、ハロウィンだ、クリスマスだと騒ぐ国民のなんと多いことか。

2025年5月4日日曜日

かがやけ憲法

    mamazakiさんという方の風刺画の一つに、ひざまずいた女性が「神様!私が何をしたというのですか?」と問うのに神様の声が「何もしなかったからだよ」と答えているのがある。
 子どもの遺影を抱いているからパートナーによる児童虐待がテーマだったのかもしれない。
 だから作者の本意ではないかもしれないが、この神様とのQ&Aは現代日本人の「見て見ないふり」精神を批判しているようにもとれる。
 ナマナマシイ話は別にしても、あの世で地獄行きを宣告されたときに、「私が何をしたと?」と確信をもって問うたときに、「ガザの子どもたちやウクライナの子どもたちが理不尽に殺されていたときに、君は何もしなかったからだよ」と神様にいわれたとしたらなんと抗弁したらよいだろう。
 「多くの日本人は見て見ぬふりをしていたから、私もみんなと同じようにしていただけです」は正答になるだろうか。

    5月3日は憲法記念日。学術会議法をはじめ、じわじわと憲法の規定が踏みにじられている。
 また正直な議論をすれば「核抑止力のない平和外交は理想でしかない」という声が増えていないだろうか。
 かくして私は、日本民主老人同盟か新日本男子の会を夢見ている。桂二葉ちゃんではないが「ジジイども見たか!」と笑われないようにしたいものだ。

2025年5月3日土曜日

段取り八分

    NHK Eテレの幼児向け番組に『にほんごであそぼ』というのがあるが、その番組の『計画』というテーマのときには「計画のない目標はただの願い事にすぎない(サン・テグジュベリ)」などと子どもたちがラップで踊っていた。
 Oh!これは全く大人向けの番組でないか!と私は感心した。

 また「段取り八分(だんどりはちぶ)」という言葉もある。例えば会議で「次の会報は〇月にだそう」と 計画しても、誰が誰にどんな原稿依頼をするかという計画を詰めずに終わってしまうこともある。・・・それはただの願い事・・?と毎回反省している。

 で、先ず隗より始めよとなるだろうから、今月後半に使用するくす玉のメンテナンスに着手した。
 写真はくす玉の光沢が落ちてきたのでラッカーで上塗りだけをしたところ。八分にはまだ遠い。

 5月1日にそのパーティーの歌集等担当者とちょっぴり昼呑みをしたが、ああでもないこうでもないと検討してくれていた。段取り八分の実践、素晴らしい。頭が下がる。
 私が「安易に簡単な企画へと妥協してほしくない」と言ったので一層頭を抱えさせることとなった。
 結論は別にして、夢は大きな方がよい。奇しくも高齢者二人が「あのCMのカントリーダンス!みんなで踊ったら愉快だろうな」と言い合った。「そんなあほな」で終わったが、1分か2分は微かにホンキである。

2025年5月2日金曜日

憲法と統一協会問題

 5月3日がやってきた。昨年202452日木曜日にこのブログで『53日というと』として書いた記事を再録する。新しい記事を書くのを手抜きするものではなく、ますます重要な内容だと思うので再録する。「去年読んだよ」といわずに再確認してほしい。 

    1946
113日に公布された日本国憲法が施行されたのが194753日。この53日は日本国憲法の喜寿(※今年は78)のお祝いの日だが主人公は近年満身創痍の感がある。
 それらについては多くの人々が語るだろうから、今年私は少し角度を変えて「赤報隊事件」について書く。
 書くと言っても微妙な問題でもあるので、小林よしのり、有田芳生 共著『統一協会問題の闇』(扶桑社新書)第3章 教団の武装化路線と権力中枢への侵略・・で有田氏が語られている(と記述されている)ことの紹介(つまり引用)である。よって、後は各自で考えていただきたい。
 
 🔳 今から37年前(※今年は38)の198753日憲法記念日の夜、朝日新聞阪神支局が襲われ、小尻記者が散弾銃で殺害され、犬飼記者が重傷を負った。
 56日、共同通信と時事通信に「赤報隊一同」と名乗る犯行声明が届き、1月に朝日新聞東京本社を銃撃したことを明らかにするとともに、「すべての朝日社員に死刑を言いわたす」「反日分子には極刑あるのみである」とその声明は宣告した。
 924日には朝日新聞名古屋本社の単身者寮が散弾銃で銃撃され、そのときの犯行声明では「反日朝日は50年前にかえれ」と記されていた。
 その後も、朝日新聞静岡支局に爆発物を仕掛けるなど、赤報隊事件は1990年まで続いたが、犯人は検挙されず2003年までに一連のすべての事件の公訴時効が成立した。 
 犯行声明に着目した警察は、犯人を右翼、あるいは新右翼と見て捜査していたが、実は同時に別の「線」も見ていた。それが統一協会と国際勝共連合だった。 
 1987年当時、朝日新聞や朝日ジャーナルは霊感商法を追及するキャンペーンを張り、教団側は朝日新聞を批判する大量のビラを駅前で撒いたり、すでに戦争状態に突入していた。 
 阪神支局が襲撃された3日後の56日午前、朝日新聞東京本社に散弾銃の使用済みの薬莢2個と脅迫状が同封された封筒が届き、脅迫状には「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」と書かれていた。
 同封されていた薬莢は阪神支局銃撃で使われたものと同じレミントン社製で、口径も散弾の大きさも同じものだった。実際の犯行に使用された銃弾は米国製で、脅迫状に同封されていたのは日本国内でライセンス生産されたものだった。
 重要なことは、銃撃に使用されたものがレミントン社製と報道されるより前にこの脅迫状は投函されていた。また消印は統一協会本部のある場所である渋谷局だった。
 有田氏が持っている警視庁公安部の赤報隊事件の捜査資料には、統一教会の信者52人の名簿があり、本籍、現住所、勤務先などが記載され、何人かには、「勝共」「非合法」「軍事組織」と書いてあった。
 さらには、「元自衛隊員」「統一協会軍事組織」とか、「統一協会軍事組織所属」「山の中で射撃訓練」とまで書いてあった。
 有田氏は、彼らは輸入された空気散弾銃を所持しているか、禁輸後も輸入され続けた単発の空気銃を所持しているのではないかと睨んでいる。🔳

 別のページの空気銃については以下の記述がある。
 🔳 実は、統一協会(韓国?)はオウム真理教と同じように「武器」を製造していた。 「統一グループ」のなかに「鋭和散弾銃」という製造部門を持ち、後に「統一重工業」に社名を変えた。さらに1968年にはこの会社の製造した「鋭和BBB(ビースリー)」という空気散弾銃を、日本の勝共連合と密接な関係にある「幸世物産」が2500丁輸入していた。🔳

 この件での後藤田正晴警察庁長官の国会答弁(国会議事録)
 🔳 幸世物産と勝共連合というのは極めて密接な関係がございます。・・2500丁の空気散弾銃が輸入をせられた。・・・問題は、こういう銃砲刀剣類所持等取締法の対象になる銃砲というものは、狩猟の用具にするとか、・・競技の用とか、それぞれ目的が決まっているわけですね。その目的に照らしてこの空気銃が果たして適正なものかという点に私どもは疑問を抱いたわけでございます。・・・したがって、第2回目以降は輸入を禁止するということで処置をしたわけでございます。
 ところが今度は、輸入業者のほうは、猟具で駄目なら、それじゃ競技用でどうだ、こういうことを私のほうに言ってきた。・・しかし空気散弾銃の競技というものはどこにもないじゃないかということで、・・この空気散弾銃を認める意思はございません。🔳

 有田氏 🔳 ところが今度は、統一協会の銃器メーカー「鋭和散弾銃」は、単発の空気銃を製造し、名前を「鋭和BBB」から「鋭和3B」に変えて、1970年から1975年にかけて15700丁輸入された。幸世物産は統一産業に名前を変えていた。
 これは、一般的な空気銃の3倍以上の威力(殺傷能力)があり、・・全国に直営店をつくり、信者向けに販売されていた。🔳

 昨年の5月2日の記事の再録はこれで終り、前述の有田芳生氏の著書のあとがきから若干補筆しておく。

 🔳 安倍晋三元総理銃撃事件をきっかけに、テレビへの出演が増えた。2022年7月18日に「羽鳥慎一モーニングショー」に出たとき、この「体験」の話をした(※10年後に有田氏が複数の警視庁幹部(元職と現職)に「なぜ摘発できなかったんですか?」と聞いたところ、即座に「政治の力ですよ」と言われたということ)。
 司会者もコメンテーターも「凍りついた」とあちこちで報じられた。実は、翌日もこの番組に出演を依頼されていたが、「明日の報道はなくなりました」と伝えられ、テレビ朝日への出演はこれが最後になった。しばらくして別の局の番組に呼ばれたとき、「政治の力」は言わないでくださいねと念を押された。🔳

 上記のとおり、統一協会問題は過去の問題でもなく裁判所にお任せしておくべき問題でもない。
 自民党や「ゆ」党の政治家の中には今も陰で統一協会を守ろうとしている者が少なくない。
 当の朝日新聞をはじめとするマスメディアも以上のような有り様だ。
 5月3日にはどうかこの問題を語り合っていただきたい。

 



2025年5月1日木曜日

まもなく端午の節句

    まもなく端午の節句なので小さな鯉のぼりのガーランドをドアに飾っていたところ、ある日行方不明となり
探してみると家の裏に落ちていた。
 「風に飛ばされたかな」とも考えたが場所が不自然。推理するに、「旨そうな魚だ」と考えたカラスが持ち去ろうとしたが、「ケッおもちゃカイ!」と捨て去ったのだろう。
 賢いカラスがガーランドに騙されるか?とも思ったが、同じように節分にはイワシ(これはホンモノ)を飾ったから、カラスの少しばかりの学習が仇になったとも考えられる。

    次の写真は五月飾り。左側のが神農さんの笹につけられる標準的な「福虎」。
 右側の小さな「福虎」は先日の献湯祭で戴いたもの。
 近頃のわが家の五月飾りはこのとおりのミニミニ。
    さて息子が小さい頃、妻の両親から本格的な五段飾り(これは最後には某施設に寄贈した)をもらい、その大きさにふさわしい張り子の虎を信貴山で購入したが、あまりの迫力に息子が「怖い」というのでヒゲを全部抜いて「福猫」にして一件落着にしたというのも懐かしい思い出。

 #言行不一致! 兜に太刀、弓を飾るか・・・との批判があるかもしれないが、歴史や民俗は大事にしつつ頭の中で変換するのがよくないか。
 

2025年4月30日水曜日

第96回メーデー

    明日は5月1日、第96回メーデーだ。
 若い頃はいろんなデコレーションを作ってデモ行進をしたりしたが、近頃の『プラカードコンクール』には腰を抜かすほど斬新なものは少ない。
 それと日本の賃下げが連動して見えるのは穿ち過ぎか。
 大阪総評最後の大会の共同修正案提出者として、労働戦線の右翼的再編は歴史がその愚行を証明するだろう!と言ったが、ああ!
 年金生活者としてはガンバレ現役!とエールを送って集会に参加するしかない。
 現役時代、1975年のメーデーは感動的だった。前日の4月30日にサイゴンから米軍が逃げ出したのだ。
 あんな感動を次の世代に見せたくて、一昨日も地元の選挙の応援に参加してきた。
 退職者も、隠居している場合ではない。ははは。

2025年4月29日火曜日

イソヒヨドリは婚姻色

 春深しイソヒヨドリは婚姻色

    4月29日、望月 周選[俳句]に採ってもらった。
 約20年ほど前、近所でイソヒヨドリを見つけたときには「これはきっと本に書いてあったアカハラだ」と思った。感動的だった。
 コバルト色の背と真っ赤な胸。後で分かったがそれはアカハラではなくイソヒヨドリの婚姻色だった。
 海なし県の奈良との県境、磯からは遠く離れたこの地の商業施設の立体駐車場を磯の崖代りにしてイソヒヨドリは住み着いた。
 それが今では、この街で一二を争う「馴染みの野鳥」となり、朝早くから恋の駆け引きに歌いまくり、追いかけまくり、そして婚姻色に着飾った。
 その感動を素朴に詠ってみた。

五風十雨

    太平之世、五日一風、十日一雨、・・と聞くが納得。

    ウスイエンドウの根元にキュウリ、トマト、マンガンジなどの夏野菜を植えた。
 ただ、特に半白キュウリは自根苗のため場所の決定(作付計画)に悩んだ。連作障害(厭地・いやち)のことである。
 基本はキュウリの場合5年サイクルの輪作を行えとなっているが、4年間キュウリを植えられないというのも面白くないし、だからといって猫の額みたいな家庭菜園では5つの区画を順番に輪作というのも実際には無理。また連作障害対策の各種農薬も控えたい。
 なので、あとはマメ科やニラ、ネギとの混植でどうにかしようかと思っている。
 今は冬野菜であった菊菜(春菊)をそのまま混植のようにして花を咲かせようと考えて、その間に植えこんだりしている。
 基本は自然農法、不耕起農法でいきたいが、上手くいくかどうか?
 失敗したら1年を棒に振るわけだから農業というのは厳しいものだ。
 収穫の時期よりも、植えただけで収穫を夢見ている今が一番楽しい。

2025年4月28日月曜日

白子が魚卵?

    イギリスの最高裁判所は4月16日、英国の平等法における「女性」について、生物学的性別で定義されるとする判決を、判事の全員一致で出した。
 さて、先日スーパーにブリの大きな白子が出ていたので夕飯の一品に購入したが、妻が「魚卵」と表示されていたで」というので二人で大いに笑いあった。
 日本が英連邦でなくてよかった。真子も白子も魚卵と表示するのは如何にも曖昧が得意な国らしい。
 ちなみにその日は塩ゆでして生姜醤油で美味しくいただいた。

 思い出したが、ずーっと以前に岸和田の、ふぐ博物館まで建てたふぐ料理店喜多八でコースを堪能したことがあったが、ふぐ博士といわれた北濱氏(今の店主の先代)が発見したのが「両性ふぐ」だった。この発見で原因不明のふぐ中毒が解明されて予防されることとなった。
 このように自然界だって複雑なものだから、社会問題となるともっとそうだろう。
 もしかしたら、件の判事の深層心理には「聖書にはアダムという男とイブという女しか書かれてない」という大前提?があったのだろうか。
 アメリカのトランプを強く支持している福音派はそう主張しているように見受けられる。
 「進化論に繋がる書籍を図書館や学校から追放せよ」という運動が実際にある。
 自然科学の進歩と宗教の持つ倫理性を併せて理解するのが理性的な現代人の知恵ではないのか。
 一神教の教条主義は困ったもののように思う。

2025年4月27日日曜日

お蔭参りの実は・・・

    ブラタモリ伊勢神宮への旅が放映されていたが、国営テレビでは触れなかった「謎」を補足しておく。
 本郷和人氏の著作の中に「内宮と外宮どちらが豊かだったか?」という設問があったが、戦国時代には朝廷の後ろ盾を失って荒廃していた伊勢神宮が大いに復興したのは江戸時代に起こった「お蔭参り」のお蔭・・・、それは伊勢神宮側にとっても「お蔭」だった。
 そこで先の設問だが、内宮には天照大神が、外宮には豊受大神が祀られていて、いわゆる神格には大きな差があったが、実際には外宮のほうが賽銭の実入りが多く豊かだったと、歴史家(本郷氏)は指摘している。
 答のヒントは参拝の順路にあり、圧倒的には先ず外宮に参拝してから内宮に参拝したという。
 そしてその外宮から内宮に向かう順路の途中にお蔭参り大ブームを支えた「正解」、日本五大遊郭の一つ山田の「古市」遊郭があったからという。
 多くの参拝者は外宮で賽銭をあげ、そのあと山田で遊び、お金を使い果たして内宮では渋くなっていたというのがその理由。
 そんな俗っぽいブームに支えられて復興した伊勢神宮を、明治政府は「国営」の神社に祭り上げて国家神道を新設して戦意高揚、果ては「お国のために死ね」とまでに思想動員してきたことを「国営放送」は一切触れない。
 今日の美しい外観や森や川を見て、古代から引き継がれてきた清らかな神々しさなどと誤解すると、それは国家神道を使った戦前の思想動員の残りカスにけっこう「洗脳」されているのかもしれない。

2025年4月26日土曜日

漢字の国

    国宝の一つに、
金錯銘花形飾環頭大刀(きんさくめいはながたかざりかんとうたち)がある。
  奈良県天理市 東大寺山古墳出土。古墳時代・4世紀〔刀身:中国製・2世紀〕  柄頭:銅鋳製 刀身:鉄製 金象嵌 
 銘文:中平🔲年五月丙午 造作支刀 百練清剛 上応星宿 下避不祥(中平🔲年、五月丙午(へいご・ひのえうま)の日に、 支刀を造作す。 百たび練え清剛なり、上は星宿に応じ、下は不祥を避く)。
 文化庁の「文化遺産オンライン」には、『日本最古の出土銘文(めいぶん)刀剣としてよく知られ、刀身部は中国製で環頭部は日本製です。一部を欠失しますが、刀身背部に金(きん)象嵌(ぞうがん)24文字が刻まれていたとみられます。「中(ちゅう)(へい)」(184189)は後漢・霊帝時代の年号で、後漢書東夷伝に倭国大乱があったとされる時期です』とある。
 ちなみに、魏志倭人伝の卑弥呼の大夫が朝献したのが景初3年(239年)であるから、百何十年、何人かの手を経て4世紀の初期のヤマトの大王に近い東大寺山の豪族(膳氏?)の墓に副葬されたことになる。ほんとうだろうか。
 謎の一つは、「百たび練え」の文字(漢字)である。小笠原好彦先生の指摘するところ、これが中国製ならば「百錬」と金偏であろうと。
 そこで、いろんな辞書をあたってみたところ、練が狭義の糸偏に限らないとしても、中国製なら迷うことなく錬とされていたはずだという疑問に賛同することにする。白川静先生なら問答無用で同様におっしゃりそうだ。
 今後の発見に待たなければならないが、例の「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」のように、日本国内(例えば葛城)の渡来人系の金工たちの手習いの典型的フレーズだったかもしれないとの問題提起は少し楽しい。となると中平=2世紀の意味はなくなる。
 補足的に言えば、この太刀は粘土槨(棺)の中ではなく、棺外に副葬されていた。
 疑問を自分の頭で考えず、いわゆる定説をなぞっているだけなら勉強ではない。

2025年4月25日金曜日

カリカンサスが咲き始めた

    体調不良で長期にわたって引きこもっていたので、動き始めた途端ぎっくり腰になった。ああ情けない情けない。
 それでも季節は進み、カリカンサス(黒ロウバイ)が咲いてきた。
 チョコレート色の花はちょっと妖艶ではなかろうか。気に入っている。

 ウスイエンドウも花をつけているから程なく豆を実らせるだろう。
 夏野菜の準備も大切だ。
 季節は冷酷なまでに淡々と移り行くから、個人の体調不良等かまってくれない。
 花言葉は深い慈悲らしい。

 夏野菜は少しだけ植えた。キュウリはイボイボが強い四葉(スーヨー)系だ。「嘘のようにたくさん採れる」と宣伝している苗が多いが、わが家の選択は量より味(好み)である。
 なお先日から昔懐かしい「白キュウリ(半白キュウリ)」の苗を探しているが、苗屋やホームセンターに出てこない。どうしてかは判らない。

2025年4月24日木曜日

神農さんの献湯祭

    退職者会で大阪の街歩きを行ったが、今回は幹事が道修町は薬の神様神農さんの献湯祭をセットしてくれていた。
 私は過去に11月に行ったことがあるが、その献湯祭は神農祭本番ということもあって人がいっぱいで入ることができなかったから、今回は初参加であった。
 湯立という神楽が奉納され、神前(前庭)の釜のお湯を供える祭りだが、それは煎じたり、溶かして飲んだりする薬の代役なのだろう。
 クライマックスというのもおかしいが、その釜の熱湯?を五葉の笹で周囲に撒くのだが、私はすぐ近くにいたので、本降りの雨のようにそれを浴びた。
 迷信じみたことにはまったく縁遠い私だが、孫の凜ちゃんが病気がちなこともあり、気持ちよくお湯を浴びてきた。そして凜ちゃん用に張り子の虎を戴いてきた。
  なお神農さんは中国の神話時代の皇帝。少彦名命は記紀神話の神。いずれも海の向こう(大陸の方向)からやって来て医薬に通じるという神格のため集合した。







2025年4月23日水曜日

藤の季節

    クルマでホームセンターに行く折にいつも通っていた道なのだが、きっと手前の竹藪が手入れされたせいだろうか、正面の小山に藤の花が豊かに咲いていて驚いた。
 手入れされた藤棚ではない野生の藤には美しさと逞しさが感じられる。
 家に帰ってその感想を妻に言うと、藤娘の美しさは雄松に抱き着いて最後には雄松を絞め殺してしまうまでの「美しさ」にあるのよ、うふふ、と笑った。
 枕草子や源氏物語、はては春日大社の「砂ずりの藤」のイメージなどからは及びもつかなかったが、ナルホドナルホドと目から鱗。
 ガラスケースに入った羽子板の藤娘からはそういう想像は広がらなかったが、長唄などの歌詞を検索してみると、なかなか艶っぽくもある。
 そういえば、クマバチを狂喜させる蜜の匂いも官能的である。

2025年4月22日火曜日

有朋遠方来

    この記事も体調不良のため公開が遅れていたもの。
    ・有朋遠方来不亦楽乎・(友あり遠方より来るまた楽しからずや)
 老朋友という中国語がしっくりくる。
 だが居る筈の朋も若干欠けていて、献杯からそれはスタートした。
 ・花冷えやあんたのいない同窓会・
 
 「便りのないのは良い便り」などと言われるものだが、時というものは無情なもので、例外なく皆んな歳をとっていた。
 そんなもので、気を抜けば引き寄せられる病気の話題には際限がないので、それはストップ、禁句にした。

 それでも何十年ぶりかを埋めるには時間が短すぎた・・が、各自の話題のストックに対して皆の体力はあまりに低く、まるで審議未了みたいに、遠くない再開を誓って散会した。

 K君、余程これまで堆積していたのだろう話に終わりはなかったが、作用に反作用、語った分だけ元気になって帰ってくれたようだ。

 持参した写真の菰樽、「おっyamashirodayori で有名な菰樽やな」とのエールもいただいた。
 その菰樽の中からは「旧友再開」の垂れ幕。この四字は河島英五の歌詞とも大いに掛けている。
 〽今日はどうもありがとう!
 さあ、次回まで皆んながんばろう!

2025年4月21日月曜日

今も昔も?

    桜田照雄氏のフェイスブックに掲載したような写真を添えて「万博会場の植生が枯れている」という投稿があって、思い出したことがある。
 
 前の70年万博の前年、東名高速道路、名阪国道などといっしょに「西名阪」の工事も突貫工事で進められていたが、なかなか思うように進行せず、そのうちに大野伴睦大臣来阪の日程が迫っていた。
    そこで現場では、「植栽はしなくていいから、苗木を植えたように並べろ」ということになり、クルマで通り過ぎる大臣には見事に完成した道路というように偽装したということがあったそうだ。
 これは大きな工事だから下請けも含めると多くの人が見聞きしていたことで、奈良周辺での後の酒席では誰もが「あれは無茶苦茶やった」と笑いあっていた。私はそういう酒席にいたことがある。
 そんなことを思い出したのだ。的を射ているか的外れかは解らない。「歴史は繰り返す」そんな言葉が頭に浮かんだということだ。

2025年4月20日日曜日

弾薬庫からゴミステーションまで

    精華町議会議員選挙が5月11日投開票で行われる。
 
 わが街(地域)からは共産党の竹川ますおさんが再びがんばるという。その事務所開きがあったので、押しかけて無理やり応援演説をした。
 精華町は町のど真ん中に、甲子園球場の122倍、470ヘクタールの弾薬庫があり、政府はそれを全国最大規模のミサイル弾薬庫にさらに増強しようとしている。
 政府はよく「台湾有事には沖縄の先島諸島が戦争に巻き込まれるから基地を強化する」というようなことを言うが、その伝で行けば、日本最大の弾薬庫は他国からの先制攻撃の第一目標になる。それが京阪奈学術研究都市の真ん中にある。気は確かだろうか。
 そういう大問題と並行して、ニュータウン全体の高齢化も進んでいて、例えば、ゴミステーションが遠い、ゴミ袋を提げて急な階段を上り下りしなければならないというような問題も起こっている。
 私は特に後者のような住民要求の代弁者として頑張ってほしいと訴えた。
 「共産党と大学の先生は似ていて、正しいことを言っていると思うがどこか身近でない」という批判もあると聞く。住民要求を馬鹿にしてはならない。言いたかったことはそのことだ。

2025年4月19日土曜日

生きてりゃいいさ

    『生きてりゃいいさ』河島英五伝/花房観音著を読み終えた。
 私より若かったが急いで逝ってしまった河島英五。
 ほゞ同時代を生きた男。
 そんな男を、今も時々 TEN TEN CAFE で壁画を見ては思い出している私。
 好い読書タイムだった。読書はいいなあ。

甲子年書く

    1872年(明治5年)11月に改暦されるまでの日本ではいわゆる旧暦が使用されていたが、それは「戊辰戦争」の「戊辰」のように、主として十干十二支(じっかんじゅうにし)によって呼ばれていたり記録されていた。より正確には六十干支であり、そのトップが甲子(きのえね)である。
 そして子(ね)=ネズミは大黒天の使いとされていることから、甲子の日は大黒天の縁日とされ、戦後しばらく父が存命中のわが家では、甲子の日には大黒様の掛け軸をかけて赤ご飯を供えていた。
 その習わしがどこの寺社にルーツを持つものか、最晩年の母に聞いたが解らず、ずーっと頭の奥に宿題として残っていた。
 それが「灯台下暗し」で、もしかするとと軸箱の蓋の裏を見ると、予想通り「大正甲子年書く寶山」とあった。昨年が甲子園球場100周年であったが、つまり大正13年に「寶山」という師が書いたものだった。
 その「寶山」=宝山師は以前にいろいろ検索したり、果ては生駒の宝山寺まで足を運んで調べたが全く分からずじまいだったのだが、今回「大正13年宝山」などといろいろ検索などしているうちに、【高梨宝山】師がヒットし、わが家の掛け軸と同様の軸の画像なども出てきた。
 そして、師が幕末の仙台伊達藩藩士に生まれ、昭和5年66歳で亡くなっていることも分かった。
 関連して宮城県図書館に「高梨宝山師のこと」という資料のあることも解り、取り寄せたところ、その中に菊田定郷著「仙台人名大辞書」昭和8年2月という抜粋があり、それによると「高梨宝山。奇僧、・・中年仏道に帰依し単身一衣、印度、西蔵の聖蹟を巡錫し大いにうる所あり。帰りて黄檗宗臨済院の住職となり、向山に聖地を開き印度より齎来せる丈六の釈迦涅槃像を安置し道俗の帰依を受く。又、一種の書法を宣伝し自ら日本一と称す。画もまた拙からず、世に奇僧を以て称せらる。・・」とあった。
 それとは別に、関東大震災1週間前に「来るぞ」とのビラを約3000枚作成し各方面に配っていたことでも有名であるらしい。この辺りが奇僧たる所以だろうか。
 雲をつかむような話であった「宝山書く」の大黒天、とりあえずはここまで解って少しすっきりした。

    【余話】 宮城県図書館に資料の複写と送付を依頼する仕方についてメールで問い合わせたところ、「白黒複写A4版1枚10円+郵送料金140円=150円を添えて申請書を送付せよ」という。
 問題は料金の送付方法だが、イ 現金10円と140円分の切手を同封して現金書留で送付するか、ロ 50円分の定額小為替と100円分の切手を同封して郵送するかせよ・・とのことで、どういうわけか150円分の切手同封で申請書を郵送(110円)という選択肢はなかった。
 で、イの現金書留だと590円(専用封筒なら更に21円必要)はかかり、ロの定額小為替だと310円なので後者にしたが、どうして切手同封ではいけなかったのだろうと??であった。
 コロナのとき今宮戎へは、十日戎のお賽銭と福笹代をネットでカード決済したが、それに比べると2~3周は遅れてはいませんかね。
 この歳にして初めて定額小為替というものを利用したが、50円の小為替(まあ小切手みたいなもの)を200円で購入するというのもなんだかなあ!という気分が残った。
 ただ、これまで全然知らなかった定額小為替なるものを知ったので、人生の勉強代と思うことにする。
 郵送されてきた封筒には、「コピー代10円」のレシート(領収証)が同封されていた。この10円=(50円の定額小為替)のために余計に190円(200円で購入)必要な合理性はなかなか理解が難しい。まあ勉強、勉強。 ※これは50円、100円、150円という少額の問題。

2025年4月18日金曜日

奈良国立博物館

    再起動2日目。
    さて、奈良国立博物館は本館の外に仏像館と青銅器館があるが、こちらの方は70歳以上は無料になっている。
 写真は仏像館の仁王像。このように「写真撮影可」の仏像も結構ある。(この撮影は体調不良以前)
 近頃はインバウンドの外国人も多い。その割には日本人は少ない? 

 青銅器館には古代中国の青銅器があるが、大きく複雑な文様のそれらには圧倒される。
 それが紀元前11~10世紀のものだというから、日本の古代史などをチマチマ考えるのが嫌になるくらいだ。
 殷王朝は、司馬遷が著した「史記」(紀元前90年・前漢中期)からも約1000年前である。
 史記の殷本紀などは日本の記紀同様「物語」の性格が強いが、青銅器は正真正銘の「事実」である。

    商から殷の時代、一方では甲骨文字、その一方では写真のような青銅器(写真のものは卣(ゆう)というらしい)が実際に作られていた。。
 甲骨文字は徐々に洗練されて今日の漢字になったことはいうまでもない。
    東アジア四千年の歴史を感じられる青銅器館である。70歳以上は無料である。

2025年4月17日木曜日

Googleレンズ

    そろそろと病は抜けぬが再起動
    「リタイア生活で困ったことはAIについてすぐに尋ねることのできる同僚が近くにいないことだ」と以前に書いたが、その感情は今も同じである。
 同じような愚痴をこぼしていた妻はある意味ごく簡単に、解らないことはすぐに娘に尋ねて私よりはるかにスマホを使いこなしている。
 さて「辞書不要で解らなければ検索する」というのが教育・学習として良い事なのかどうかは解らないが、事実として義務教育中の孫は辞書を持っていない。
 それでも千畳敷カールのことを詠んだ俳句で「圏谷」と書いてカールと詠むなどはパソコンの検索機能の成果であろう。・・というようなことに驚いているということは、私が世の技術の進歩に取り残されつつあるということでもある。
 考えてみれば私が就職したころは職場にはまだ電卓がなく書類の審査は大変だったから、そう考えれば「スマホが苦手だAIはどうも」という意見や気分は、それを当時に当てはめれば「算盤と筆算があるから電卓は嫌だ」と言っていることに近い。
 それはさておき、よくスマホに『知らない植物の名前がすぐに解るアプリ』という広告が入るが「メリットデメリットはどうだろうか」と娘に聞いてみたところ、「何を言ってるの!お父さんのスマホにはすでに入っているで」と教えてくれた。Googleレンズのことだった。いつも普通に文字で検索をしていたが、その検索窓口にあるそのアイコンは全く無視をしてきていた。
 念のため庭のけっこうレアな木の葉っぱを検索したらクロバナロウバイと瞬時に正解を表示した。オミソレシマシタ。主として葉の形から樹木の種類を検索するけっこうマニアックな本を持っているが、その本ではここまでたどり着けない。
 ただ、この便利さは人類総体としての知恵を劣化させないだろうかと心配する。孫の世代の未来世界を見学してみたいとも思うが、見学するまでもなく思考するのが先人の責任だろう。ハイ。
 この記事は、公取委がGoogleに、検索アプリ独占の排除命令を出した問題とはとりあえずは関係ない。

2025年4月10日木曜日