2025年3月28日金曜日

酒席の防衛政策

    黄砂危険情報といっしょに春というか初夏までがやって来た。
 写真は26日(水)夕方、奈良公園氷室神社の枝垂れ桜。満開。
 その後、インバウンドの多彩な民族を掻き分けて居酒屋にたどり着いた。
 先日は某会報100号で思い出話を特集したが、後期高齢者の酒席は放っておいても思い出話に時間を忘れた。
 その次の話題は現下のコメの値上がり。
 「買い占めている奴がいる」との農水大臣のアナウンスだが、コメは12度か13度で徹底した温度管理をしないとストックできないというのが農業に詳しい者の意見。
 JAあたりが本格的に行わない限り買い占め・ストック説はあり得ない(派生的に買い占めて利ザヤを目指す者はいるかもしれないが)。
 とすると、昨夏の異常気象(高温少雨)が直接的原因かもしれないが、構造的には減反政策の行き詰まりでないか。
 どこの国でも主食の安定確保は政治問題。
 美味しい米を作って農業が持続する収入を保証し、余ったコメは世界中の困っている人々への援助に回せばそれこそ最高の防衛力でないだろうかというのが一致した意見。
 羽釜も一緒に援助しよう。


2025年3月27日木曜日

ミナミのインバウンド

    日曜日に『やめてんか・カジノ万博パレード』に行ったことを一昨日に書いたが、パレードで御堂筋をミナミへ歩くと、外国人観光客の多いのがよく判った。
 特に道頓堀橋あたりから東の方の戎橋や道頓堀の方を見ると、雑踏という形容がぴったりだった。
 また近頃は御堂筋そのものも大きく変化していて、かつての各社の本社機能というよりも、高級ホテルの一角のように、世界的に有名な服飾品などのブランドの店舗が軒を並べている。
 早い話が御堂筋にしても戎橋・心斎橋筋にしても、「日本は安い!」とやってくるインバウンドに顔が向いていると見た。
 そこでだが、「日本は物価が安い」という実感が日本人にあるだろうか。価額の実感は収入(所得)に対する支出(値段)の問題だから、「物価が安い」と感じる外国人と比べて日本人の賃金、はては年金などの収入が低すぎるというのが本質だろう。
 かつての日本人が実感していたことでもある。
 テレビなどのコメンテーターも「日本は物価が安いから外貨で潤う」みたいなことを言うのでなく、「日本の賃金が安すぎるのでインバウンド公害が起こっている」と言うべきでないかと思う。

2025年3月26日水曜日

統一協会は宗教法人に非ず

    東京地裁は25日、世界平和統一家庭連合(旧統一協会)に解散を命じる決定を出した。
 文科省が、遅くとも1980年ごろから高額献金の要求や霊感商法が教団によって繰り返されており、賠償責任を認めた判決は32件あると指摘。和解や示談を含めた被害規模は約204億円(約1550人)に上るとしていて、こうした民法上の不法行為に教団の組織的な関与があったと認定。
    これらは宗教法人法で定められた解散命令の要件の「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」や「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為」に当たると訴えていたことが認められたことになる。
 これに対して教団側は即時抗告するだろうと報じられている。

 ただ、良識ある市民が気を緩めてはならないことは、一般論として、洗脳された集団はこれを宗教弾圧、統一協会流にいえばサタンの仕業というだろうから、ある種の結束は強まる恐れがある。
 そして重要なことは、自民党や「ゆ」党の中に統一協会と癒着し代弁しようとする勢力が少なくないという事実だろう。
 旧統一協会のフロント団体勝共連合は暴力も含む反共団体として、彼らの「盟友」であったから。
 ここまでは市民の良識の勝利であったが、気を抜かずに民主主義を大事にしたい。そして反語的に言えば、次の参議院選挙で、統一協会とのほんとうの対決者、日本共産党を前進させることが、日本の民主主義を守ることになるのではないか。
 写真は先日、わが街の駅頭で統一協会がまいていたビラ。
 (統一協会はキリスト教的宗教団体的に「統一教会」と改称?していたが、元々アソシエーション「協会」が正確)

2025年3月25日火曜日

考古学と文献史学

    2013年に亡くなった森浩一氏の著書がこの1月に新書化されたので早速購入した。
 森浩一氏といえば、1945年(昭和20)に当時17歳の森浩一氏が信太山丘陵の工事で破壊寸前の和泉黄金塚古墳(古墳時代前期(4世紀)の前方後円墳)を発掘(発見)したことで有名だが、私の高校時代、社会の教師が授業内容とは別に、この高校の先輩にあたる教え子がこの発見・発掘に参加していて、卑弥呼の鏡かといわれる景初三年(239年)銘の画文帯四神四獣鏡を見つけたときの感動の様子を熱弁されていた姿を思い出す。

 鏡と言えば今般の著書でも、第2部三種の神器、第4章八咫鏡、第5章八咫鏡(続)がある。

 さてこの本は、現代の多くの考古学者が神武東征などの神話について「考古学的な裏付けがない」「故に荒唐無稽な物語だ」と言うかそれに触れないという態度をとっている中で、否、見過ごすことのできない痕跡(遺跡・遺物)がこんな所あんな所にあると、示唆を与えてくれている。

 近年、4世紀の、全国一の大墳丘を持つ富雄丸山古墳造り出しから想像を絶する巨大な蛇行剣と盾形銅鏡が出土したが、神武(イワレ彦)東征神話では、河内の生駒山麓日下(くさか)でイワレ彦はトミノナガスネ彦と戦って敗れている。トミノナガスネ彦軍は後に自壊するが、その日下から奈良駅に東進する近鉄奈良線に富雄駅が存在する。古墳はその南方にある。
 森浩一先生は、トミノナガスネ彦の記紀の記述を一笑に付すべきでないとおっしゃるだろうか。現在の私の見解とは異なるが、そんな声も聞こえてきそうな気もする。

2025年3月24日月曜日

愛はないけどアイアール(IR)

    寒いときは風邪をひいたらあかんし、暖かな日は花粉症が悪化したらあかんので、どっちにしても酷い出不精癖がついているので少し歩くと膝が痛んだり息が上がって心臓が弱音を吐く。
 これではいかんとネットを開けたら『やめてんか・カジノ万博御堂筋パレード』があったので23日の昼に「うつぼ公園」に出かけたが、健康のためという動機は少々不純だったかもしれない。
 万博「そのもの」を取り出せば取り立てて反対ではないが、それなら千里で「アゲインばんぱく」とすればよいものを、万博をイチジクの葉にしてカジノ(とばく場)を造ろうとしているから賛成できない。それをIR(統合型リゾート施設)と言い換えても駄目なものは駄目。
 それに地震・台風や津波には危険極まりないアクセス環境の埋め立て地で、危険なガスも噴出を続けている。
    そういう無理に無理を、無茶に無茶を重ねているために、『いのち輝く未来社会のデザイン』だとか『豊かな日本文化の発信』だとか美辞麗句を重ねながら、なんと、し尿汲み取り運搬業務の入札公告がされているというブラックユーモア?まで発生している。
 言っておくが、汲み取り方式の街や汲み取り業務のことを蔑視したりしているのではない。だがしかし、大阪市内で、国際博覧会の会場で、かっこよいキャッチコピーを並べて、その果てが汲み取りですかと情けなくないか。
 万博会場では、一般入場者は帰った後かも知れないが、外国パビリオンの関係者などは沢山いたりする夜間になると、バキュームカーやし尿運搬船のラッシュアワーになる?
 豊かな日本文化の発信どころか、それは普通に言えば「恥さらし万博」になるのではないの?

2025年3月23日日曜日

栞(しおり・ブックマーク)

    会報100号の記念品として『栞』を手作りして会員に郵送(同封)したが、一会員でもある私の妻は「素晴らしい出来だ!」と言って妻の姉にプレゼントだと横流し?した。
 (表裏印刷だから3種類)

 企画段階では記念品らしくQUOカードが喜ばれるのではないだろうかとも考えたが、結果的には超格安の手作りでそれ以上の評価を得た気がする。
 「人生意気に感ず」という言葉があるが「意気」が通じたかも。人間、金銭だけが基準で生きているわけではない。

 今回の制作に関しても比較的若いUさんTさんが大いにがんばってくれた。
 誰かの名言?に、『何かを頼まれたときに「どう実現していくか」と考える人と「どう断わるか」と考える人がいる』というのがあったが、私は前者でありたいと胸に手を当てて反省している。彼らは「どう実現するか」と悩んでくれた人たちだ。

 次は5月のレセプションの企画になる。企画について議論をしたいところだが「ご歓談ください」と放っておかれたパーティーで「好かった」と記憶に残ったものは私にはない。

2025年3月22日土曜日

若ごぼうご飯

    20日の『蕗みそ』の記事のコメントの折に「若ごぼうの炊き込みご飯について秘訣があれば誰か教えて」と書いたところ、ひげ親父さんから「湯掻いておいた茎は炊き上がってから加える」というレシピを教えていただいた。私は根も茎も最初から炊き上げるつもりでいたから参考になった。(ネットには一緒に炊くレシピも少なくなかったので)

 私なりに検討した結果、香りのために根プラス「茎の根本あたり」を最初から入れ、それに、薄揚げ、ニンジン、カシワ少々を入れて炊き上げ、炊き上がった時点で大部分の湯掻いておいた茎を少し大きめに切っておいたのを加えた。
 その結果、手前味噌ながら、懐石料理に出ていてもおかしくないほど美味しく仕上がったが、出汁は妻が塩梅したので私の手柄ではない。
 葉っぱは油でいためて別途佃煮にした。
 気をつけたのは「できるだけ野趣を残す」ということで、それもほゞ成功した。季節を感じさせる一品になった。
 妻がファミリーの女子会であったので、息子ファミリー、娘ファミリーにもお裾分けをした。
 夜に息子ファミリー(お嫁さん)から美味しかったとのLINEがあった。孫の夏ちゃんも喜んでくれたそうだ。
 娘ファミリーからは孫の凜ちゃんがパクパク食べている動画が送られてきた。その中には凜ちゃんの自然に「美味い」ともらした声まで入っていた。
 八尾出身のひげ親父さん、レシピの秘訣ありがとう。

2025年3月21日金曜日

クリスマスローズ

    私だけかもしれないが、お正月の葉ボタンではないけれど、クリスマスローズはクリスマスの頃に咲く花だと思っていた。 実際、昔のことになるがクリスマスの頃に咲いているのを買ってきた。
 その後植木鉢から地植えに移したが、クリスマスどころか春の終わり、初夏近くに咲くので「何がクリスマスやねん」と思っていた。
 それが今年はだいぶ以前から今咲いている。 クリスマスとはいかないが、17~19日の寒波?もあったから、大ぐくりでいえばようやく冬に咲いたことになる。
    本を読むと、
少し北の地方では実際に12月に咲いたりするらしい。
 また、キリストの誕生(つまりクリスマス)の際、貧しい羊飼いの少女が、プレゼントを用意できないのでこの花を花束にしてマリアと幼子に持って行ったという神話もある。
 下の写真は花の下へスマホを差し込んで自撮りモードで撮影した。
 私にはもう「クリスマスローズ=冬だ」という気分はない。「冬も終わってようやく暖かくなったなあ」と感じさせる花になっている。

2025年3月20日木曜日

蕗みそ

     冬眠から覚めたクマは蕗の薹(フキノトウ)をどっさり食べてデトックス(解毒)するというが、今シーズンの如月はけっこう厳しいものだったから、私の体もデトックスを欲している。
 先日は孫の凜ちゃんといっしょに若ごぼうを食べたことを書いたが、第二弾はフキノトウの「蕗みそ」でデトックスだ。
    フキノトウは刻んだ瞬間から変色していくから、料理でもありながらまるで格闘技のような高揚感もある。
    熱しておいたフライパンに即投入し、熱が通れば合わせておいた味噌と混ぜるだけ、これを冷蔵庫に入れておくと蕗みそになる。なんということもない。
    最後の寒波?も17、18日で終わったようだから、口いっぱいに春を確認することにしよう。味わい方はいろいろだ。
 泉谷しげるは〽季節のない街に生まれ~と歌ったが、季節もまた探している人間にしか挨拶をしてくれない。
    熱いご飯に乗せるだけでも食事になるが、写真はこんにゃくの焼き味噌おでんにした。七十二候の世界に入り込んだみたいだった。

2025年3月19日水曜日

公教育の充実について思うこと

    一昨日に「小学生・中学生俳句会」 のことを書いたが、お世話いただいた学校の先生方には感謝している。同時に、無制限の超過労働など教員を巡る問題のある労働条件に見て見ぬふりをしてそういう「お世話」を感謝、賛美してよいものだろうかとも思う。(写真は直接関係ない)
 私は小学生の時代、担任の先生を通じて、戦後発足して間もない児童詩集(文芸誌)に掲載してもらったりして、私だけでなく、みんな貴重な思い出を作ってもらったので、そんな経験と孫の「俳句誌」が重なって感謝の気持ちが湧いている。
 ちょうど国会で教育無償化の議論がある。教育無償化には賛成だ。
 ただ手柄話のように語られている大阪府の維新による教育政策の事実を見ると、ほんとうの意味での教育の充実、例えば教員の増員、少人数学級、養護(特別支援)学校の設置、増設、施設充実などは顧みられず、反対に学校の統廃合を強行し、公教育を私学に外注し、学校跡地を売却するようなことが目立っている。
 テストの成績で教員の指導力?を評価する人事政策も強化され、結局、大阪府の学力は低迷している。学力は塾と私学任せだ。クラブ活動も地域任せで、美辞麗句はあるが、公教育の責任逃れにも見える。
 どこか精神が歪んでいるように見えるのはおかしいことだろうか。
 別途項を改めて書いてみたいが、「公から民へ」「公務員は少ない方がよい」「小さな政府(役所)」というのが、災害に弱い、インフラに弱い、弱者に冷たい社会を作っているのではないか。
 教員や公務員全般を含む労働の場では成果主義という名の「減点主義」が各方面での活力を削ぎ、大きな話をすると日本の経済力、産業力を大きく低下させたのではないか。
 話が広がりすぎるので、今日はここまで。

2025年3月18日火曜日

詐欺メール

    詐欺事件のニュースは止まるところを知らない。
 
 「よくもそんな大金を振り込んだものだ」と被害者への同情の感情が薄まる事件もあるが、例のミャンマーの「会社」みたいなプロ?にかかると「普通の人」?なら騙されて不思議はないとも思われる。
 写真の「国税の督促状・差押え通知」は一月ほど前に私宛に送られてきた(メール)ものだが、証拠のために消去せずにとっておいた。クレジットカード情報を盗もうとしているものだろう。
 手口は幼稚なものだが、e-Tax だとか 国税電子申告納税システム だとか 国税庁 などの文字をちりばめて「差押処分に着手する」と脅している。
 「還付金」ではなく「滞納」だというから、詐欺にしても私は見くびられたものである。

 対策はある意味単純で、国民全体の「常識力」だと思う。そういう社会の「常識力」を破壊しているのが政権与党だろう。
 今般、石破首相(自民党総裁)が1年生議員に各10万円の商品券を配ったのが明るみに出たが、鳥取の舞立参院議員が庇おうとして「歴代の首相が慣例として普通にやっていたことなのに」と公言した。こういうのを「語るに落ちる」という。
 石破首相はポケットマネーというが、とりあえずネットを検索したら2012年のアベチルドレン初当選者は119名であった。となると当時の安倍首相(自民党総裁)は1,190万円配ったことになる。これに国民の税金=官房機密費が使われていないと信じるのは常識に反する。
 日本に詐欺事件のあとが立たないのは、政治の中枢部がこんな詐欺まがいの行動と発言を繰り返し、マスコミがそれを国民の「常識」という物差しで追及してこなかったからではないだろうか。

2025年3月17日月曜日

本日は歌日和

 君はいま彼の北斗星共に祝いたかった記念号

 会報100号にKさんが寄稿してくれた短歌である。
 やや破調であるのが作者の狙いかどうかは知らないが私の心に響いた。
 そういう私も、スマホの電話帳には彼を消せないでいる。
 さて5月には、年に一度のレセプションがあり、毎年みんなにどのように喜んでもらえるかと七転八倒とまではいわないが悩みぬく。
 そんなとき、毎回のように「今度はこんなことを考えたから一緒にやってくれ」と電話をすると、「難しそうやけどお前が言うならわかった」と二つ返事で受けてくれた漢(おとこ)を思い出す。
 谷町の酒屋談義は彼がいた頃と変わらぬ話題に終始


    日曜日の朝日新聞『歌壇』には、47年間務めてきた選者馬場あき子さん(97歳)の退任を惜しむ声があった。この後当分その種の声が続くことだろう。
 俳句の金子兜太、短歌の馬場あき子が、詩心を以て戦争や政治腐敗を告発したことごとをアーカイブに飾ってしまってはならないだろう。
 今般の佐佐木幸綱選 戦禍にも書店増えゆくウクライナ心の支え求めるように (中津市)瀬口美子 は人間を信じさせる。

 最後に、馬場あき子さんの夫であった故岩田正さんの歌を二首。
 目覚むれば寝息くるしき妻のありわれにも秘する悩みあるらし
 わが怒り激しきに呆れゐし君もいまは政治を一緒に怒る

2025年3月16日日曜日

圏谷(けんこく・カール)

    澄んだ空圏谷(カール)飛び交ういわひばり 

    第28回全国小学生・中学生俳句会というものがあり、36,211名の投句者がいた中で、多数の入選者の中の一人だが孫の夏ちゃんの句が選ばれ、それが載っている作品集をもらった。
 しばしば某しんぶんに投句をしているがボツが続いている祖父ちゃんはただただ感心している。
 それにカール(千畳敷カール)のことを圏谷(けんこく)と書いたり読んだりすることをよく知っているものだと、それを初めて知った祖父ちゃんは驚いたが、生徒一人に一台タブレットを持つ教育環境のプラス面だろう。年寄りの経験知など風前の灯火だろうか。

 私ごとだが、私が小学生の時代は「生活綴り方運動」に繋がる自由詩などが盛んなころで、戦前の教育の反省というのだろうか、定型詩や文語、さらには漢字などがどちらかというと否定?されていた。その延長で俳句や短歌などもマイナスイメージが強かった。
 そんなもので、この歳になっても私は改まった文章や定型詩は大の苦手でいる。
 そんな私が、ちょっと投句などしてみようかと思ったのはテレビのプレバトの影響だから、私も単純なミーハーである。
 単純なミーハーでもよい。人間生きている限りは勉強であり挑戦だから、これからも短歌、俳句、川柳に挑み続けたい。
 
 孫の作品は夏休みの中央アルプス駒ケ岳登山を詠んだもの。
 雄大な景色、珍しいイワヒバリ、苦労を乗り越えて登頂した喜びがある。
 さて、詩を書く秘訣はただ一つではなかろうか。それは常にワクワクした気持ちで物事を見ることだと思う。
 夏ちゃん、その気持ちを忘れないで! 祖父ちゃんもそんな気持ちで頑張ろう。

2025年3月15日土曜日

錆びる庖丁はよく切れる

    堺では「錆びる庖丁はよく切れる」と言うそうだが、堺人であるはずの私はそういう言葉は知らなかった。
 ただ言葉は知らなかったが経験的にはそれは常識だった。
 わが家ではホンモノの堺の庖丁、ステンレスの庖丁、セラミックの庖丁を使ってきたが、経験的に堺の庖丁はよく切れたが、手入れをサボると錆びた。その手入れのサボの結果、今般、堺の庖丁の命が尽きた。
 40年ほど使ってきたが、ついに刃の柄に差し込む部分(中子)が完璧に錆び落ちてなくなってしまった。(写真は表面が鏡になっていろんなものが写りこんでいるので錆びて汚れているのではない。中子以外は錆びさせてはいない
 これまでも木製の柄を3回ほど替えて補修してきたが、今回は「もういいだろう」という気になった。
 鉄を足す方法もあるが、それほど調理師プロ仕様の高級品でもないから捨てることにして、もう少しグレードの落ちる堺の庖丁を購入した。
 歳も歳だし本格手に魚を捌くこともないだろう。・・と、自分の下り坂を感じている。

2025年3月14日金曜日

神農さんの予習

    4月に「大阪の街歩き」に参加する予定だが、その訪問先の一つが船場の少彦名神社(神農さん)で、道修町の薬の神さんで通っている。
 少彦名命(すくなひこなのみこと)は日本書紀によれば、海の向こうからやって来て大国主神(おほくにぬしのかみ)とともに国造りを行ない、その後「常世郷(とこよのくに)」に行ってしまった神で、「病を療(おさ)むる方(ほう)を定めた」となっている。

 その一方神農(じんのう・しんのう)は本来は中国古代の伝説上の帝王であって、その名が示すとおり原初的には農業神であったが、前漢時代から医薬の創始者となった。 
 というように2神は本来別々の神であったが、海の向こうからやって来て最新の医薬を教えたということで一致していることから、いつしか合体した(させた)のだろう。
 また「常世」というのは記紀では「神仙の秘区」つまり神仙世界とされているし、我が国に最初に伝わった薬の書は6世紀の道教の道士陶弘景が復元した「神農本草経」であるから、少彦名神社(神農さん)を約(つづ)めていえば道教の神さんということになる。

 なお、この道修町と神社の縁起は割合はっきりしていて、享保7年(1722)紀州に出かけた徳川吉宗が大坂で臥したさい、道修町の薬屋から献じた薬で回復したことから、この地の124軒に薬種屋の免許を与え、さらに和薬改会所を設け、薬種の真偽等吟味する特権を与えたことに始まる。
 さらに、有名な張り子の虎は、文政5年(1822)に大坂でコレラが流行した際に薬種仲間が病除けの薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という丸薬を作り、「神虎」(張子の虎)の御守と一緒に神前祈願の後施与したことに由来するといわれており、現在でも少彦名神社の御札をつけた張子の虎は家内安全無病息災の御守として知られている。あなかしこ あなかしこ。

2025年3月13日木曜日

お水取り余聞

    東大寺二月堂修二会もいよいよ佳境で、13日の1時半ごろに若狭井という井戸から観音様にお供えするお香水(おこうずい)を汲む行があるので、俗にこの行をお水取りと呼ばれている。
 11日の昼間に二月堂に参拝してきたことは昨日書いたが、そこで見た「余聞」を少しメモっておく。

    第1の写真は調理のような様子だが、食堂の横の建物なので何かわからない。ただ、お松明以外にも多くの仕事によってこの行が支えられているのだということが感じられた。
 第2の写真は籠りの僧のための食堂の前。調理で残った「残飯」はこのように鹿に施されている。

    第3の写真は若狭井。お水取り本番まではこのように新鮮な木々で囲われているが、鹿にとってはこれも御馳走。
 奈良の鹿は春日の神のお使いなのだが、見たところは大仏様のお供という方が当たっているかもしれない。 

2025年3月12日水曜日

杉の梢の天狗星

    お水取り=東大寺二月堂修二会(しゅにえ)もいよいよ後半になってきた。
 そも修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)法要」と言い、十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で懺悔することを意味する。
 奇しくも昨日は3月11日。大仏殿では犠牲者大法要も行われたが、私は勝手に為政者に代わって原発事故の懺悔を行ってきた。 
 写真では判り辛いが布カバンには「3.11から14年 NONUKES」という小さくない名札を付けて参拝した。

 そのあと出席した古代史講座では、「富雄丸山古墳の被葬者について、麛坂皇子とはいかなかったが忍熊皇子まで考え抜いたのはよろしい」と、小笠原先生から先生の立派な著書をご褒美にいただいた。
 ああ、これからは講義中に居眠りなどできなくなった。

 それにしても、写真でいえば私の後ろの格子から夜には修二会の一種独特のドラマチックな行が垣間見れるのだが、その格子の前に座ってゆったりとお参りができたし、勉強会では望外の嬉しいこともあった。ありがたい一日だった。

 二月堂下の有名な黒板には「水取や 杉の梢の 天狗星  正岡子規」が記されていた。
 二月堂の舞台の真正面には良弁杉が立っている。そこへ降り注ぐお松明の火が天狗星(大きな流れ星)なのだろうと勝手に解釈した。

 帰宅すると会報の最終校正をせよとのメールが入っていた。ちょっと忙しいが怠け心の老人には丁度良い。

2025年3月11日火曜日

啓蟄

    この季節を啓蟄とはよく言ったものだ。
 
 3月10日の昼間は気温がグングン上がるとともに、綿のない綿虫(雪のない雪虫)みたいなユスリカみたいなのが「春だ~ 」と言わんばかりに湧いてきた。
 スマホで撮影したが上手く撮れない。名前は知らない。
 気分がいいので庭仕事をしたが、花粉症のしっぺ返しを食らうのだろうなあ。(実際、夕刻から目と鼻に発症した)

 バードテーブルにヒマワリ(の種)を入れると、ヤマガラ、シジュウカラ、スズメがまるで鳥小屋の中に私が入ったように庭中を群舞してくれた。
 スズメは以前はヒマワリは食べずにもっと小さなヒエ、アワなどを食べていたが、近頃は先客のヤマガラ、シジュウカラを追っ払ってヒマワリを食べに来る。
 学習したのである。
 昔仕事で東京に行ったときは日比谷公園の松本楼で昼食をとることが多かったが、あそこのスズメも「ここの人間は襲いはしない」と学習したんだろう、屋外席のテーブルで食べていると「ご飯をくれ」と、こちらが食べているテーブルにまで飛んできた。

 写真は葉も可愛いオキザリスの一種。いろんな花も春に遅れまいと忙しそうだ。

2025年3月10日月曜日

明日は3.11

【1】15年前の2011年(平成23年)3月11日14時46分東日本大震災が発生した。
 人生で大災害に出会うタイミングは不公平で冷徹なものだが、そのとき皆さんはどこにおられたのだろうか。
 私は東北から遥か遠い奈良市内のビルの4階で講演を聞いていた。
 立っておられた講師は判らないが、吊り看板がゆっさゆっさと揺れて、敏感な受講者はざわついた。
 3時過ぎに講義が終わり、主催者からの「東北で大地震」とのアナウンスを受けて、マイカーで急いで帰宅した。3時半前に帰宅できたように思う。

 ここから先はテレビを見ただけなのだが、「現地」の多くは停電していただろうから、皮肉なことにほんとうの直接的な当事者以外でいえば、他の東北の人々以上に私はヘリコプターから現状を見続けた。
 そのテレビはライブであった。そこへ津波がやってきた。テレビに映っている人々の何人かは迫っている津波を知らずにいるのをテレビカメラは冷徹に映していた。
 早く逃げろ! そちらは危ない! ほんとうに声が出た。
 ニュース映像ではない。今その瞬間に津波にのまれ、もっと言えば目の前で死んでいく被害者をカメラは映していた。

 これはショックだった。後に3.11を語り合ったとき、あの津波をライブで見た人とニュースで見た人のショックの格差に驚いたが、それほどショックだった。
 津波はほんとうに恐ろしい。

 【2】東日本大震災は津波とともに原子炉のメルトダウンという大惨事を引き起こした。危険な燃料デブリは880トン(880,000,000グラム)と言われているが、これ以外にも被曝によって危険となった物質は膨大な量に及んでいる。
 それから14年が経過して、つい先日「遂に取り出した燃料デブリ」は0,7グラム・・・。
 政府は原発存続増強の決定を行った。自民、公明以外にも、国民、維新がその政策を進めている。
 「日本の知恵をもってすれば原子炉は制御できる」という意見があるが、私も自然科学と技術によって克服したい気持ちはヤマヤマだ。
 しかし私は社会科学で読み解く能力も大事だと思う。
 もし本当に原発が完全に安全なものだとしたら、原発は最も電力を必要としている東京湾や大阪湾に建てるべきだろう。なぜそうしない!
 この一点でも原発が危険なものだということは明らかだ。
 原子炉そのものが頑丈でも(福島の場合は頑丈でもなかったが)、外部電力のシステムや配管のシステムにトラブルが生じると、原発は一転核兵器に転じてしまう。
 ロシアによるウクライナのザポリージャ原発制圧を言うまでもなく、原発はその国の最大の急所になる。
 人間には自然科学と社会科学の知恵や感性が必要だ。

2025年3月9日日曜日

富雄丸山古墳を臨む

    わが家から電動アシスト自転車でならサイクリングに行ける近さに五社神(ごさし)古墳がある。宮内庁によって仲哀天皇の皇后である神功皇后陵に治定(じじょう)されている。
 日本書紀は異例のことに巻第九を神功皇后だけに充てている。いうならば天皇扱いしている。
 倭の五王の時代、百舌鳥・古市の巨大古墳時代のシンボル的な天皇である応神天皇のその母である。
 ところが戦前の「神功皇后による三韓征伐」なる軍国神話の反省によるものか、「神功皇后は実在しなかった」「推古天皇をモデルにした伝説である」「斉明天皇の九州での急死と草壁皇子がモデルである」との説が現代の学会の主流というか大勢を占めている。
 だが、潤色が濃いことと「実在しなかった」こととは全く異なるのではないか。
 日本書紀の応神天皇は認めるが、その母である神功皇后の記述は全てが「架空の物語」である・・・だろうか。
 神功皇后が各地の風土記にも登場している事実もある。
 神功皇后の母は豪族葛城氏の出身である。葛城氏に想定されている大古墳も大和南部に少なくない。
 その神功皇后が武内宿祢とともに、先に急死した仲哀天皇と大中姫との間に生まれていた皇子である麛坂皇子(かごさか王)忍熊皇子(おしくま王)と対決し、麛坂皇子は戦の前に死亡、忍熊皇子は戦で亡くなったと記紀には記されている。4世紀末葉のことになる。
 それらのことから、4世紀末葉に、最有力な次期天皇候補でありながら、神功・応神に反旗を翻し戦になる以前に死亡した麛坂皇子とその皇后こそ、前方後円墳を許されなかった富雄丸山古墳の被葬者その人ではないだろうか。
 先日、粉雪の舞う寒い日に富雄丸山古墳を見ながらそんなことなどを思い浮かべてきた。
 ただ、造出しの埋葬施設とはいえ、皇后の埋葬に超巨大な剣と盾というのはなぜだろうか。多分に装飾的ではあるが。
 記紀には、難波宮などで天皇の宮の玄関に大きな剣と大きな盾を立てたという記述があるが、だとすると、富雄丸山古墳を築造した一族は、「本来の天皇の宮」あるいは「黄泉の国での天皇の宮」と言いたかったのかもしれない。謎はまだまだ尽きない。
 以上の論旨は、小笠原好彦先生の講義を踏まえて記述している。

2025年3月8日土曜日

人面墨書土器

    鬼は外、厄は外! ・・節分はとうに過ぎたが大声でそう叫びたいニュースが多い。

 先日は佐紀池ノ尻古墳のことを書いたが、その発掘調査を担当した奈良市埋蔵文化財調査センターの展示室には、平城京で出土した『人面墨守土器』が展示されている。写真撮影可なので撮影してきた。

 奈良時代には、土器に墨で人の顔を描き、何かのまじないをおこなってから川などに流すという風習があったといわれている。
 このときに用いた土器が「人面墨書(じんめんぼくしょ)土器」と呼ばれていて、元々は煮炊き用に使われていた土師器(はじき)の甕(かめ)が多い。
 奈良文化財研究所のレポートなどでは、「ところが、ここでひとつの疑問が生じてくる。人面墨書土器にはいったい誰の顔が描かれているのでしょうか」として、「中には目をつり上げた恐ろしげな顔を描いたものもある。一説によれば、それは疫病神(やくびょうがみ)や鬼神であると考えられる。奈良時代には、しばしば天然痘などの疫病が流行し、人々を苦しめましたが、それは疫病神や鬼神がもたらす病気と考えられていた。人面墨書土器はそうした迷惑な神々を追い払うまつり・まじないに使われたと考えられている」とある。 
 奈良時代の京(みやこ)平城京では、道路の側溝や運河の跡などから人面墨書土器が数多く出土する。疫病の流行をしずめるために、土器に疫病神や鬼神の顔を描き、それを水に流すことで、京から疫病神や鬼神を追い出すまつりがおこなわれただろう。

 そういえば近頃、太平洋の向こうあたりに描いて流してしまいたい顔がある。
 「関税はアメリカを豊かにする」とか何とか、恐ろしい独りよがりと分断と悪態。それに熱狂する信者・・・。
 あまりの無茶さ加減に開いた口が塞がらないが、みんなで甕に決意の息を吹き込めて、流すか埋め込むかしてみたい。人面墨書土器を使った疫病よけのまつりは、京の外でも広くおこなわれていたというから・・・・・

2025年3月7日金曜日

住民の要求

    先日、地元の共産党の町会議員の懇談会に参加した。
 いろんな話題に花が咲いたが、一番盛り上がったのは私が提起した「ゴミの戸別収集の実現」だった。
 私は、理想論でいえば現状のゴミステーション方式は悪くないが、街全体が高齢化していっている現実では、ゴミステーションの数が限られており、つまりは遠くまで出しに行かなければならない人もいて、高齢でかつ足の悪い人、急峻な階段を通らなければならない人など、住民の努力の限界を超えているのではないかと提起した。
 全員近くが、現実に自分が困っている実情、困っておられる方の実情に問題意識を持っておられた。
 主催者側の方々も、これほど話が盛り上がるとは予想外だったのではなかったか。
 
 その外の話題では、わが町を地図で見るとH駅が中心になるが、我々の区域は町の端っこで、二つ隣の自治体のT駅やT駅周辺の商業施設などが生活圏になっているので、「町の中心H駅」というなんとない「常識」みたいな町の都市計画とのズレもいろいろと具体的な要求として出されながら話になった。
 で結局、まだまだ語り合いたいという顔、顔、顔を残して散会になったのだが、主催者側に、懇談会の企画段階で住民要求のマグマを過小評価というか、読み間違っていたのではないだろうかと思われた。時間が足りない。
 ただ感想としては大いに値打ちのある懇談会だった。

 たしかに、世の中ともすれば閉塞感に覆われている感じもするが、「答と出口は現場にある」と再確認した次第。

2025年3月6日木曜日

ミサイルを描くつもり?

    テレビでマンホールカードなるものが報道されていた。
 各自治体が作ったユニークなデザインのマンホールの蓋を撮影するという趣味のことは知っていたが、マンホールカードというのは初めて知った。各自治体が作っている。私の趣味ではないが面白いものだ。
 隣の木津川市の旧木津町のは木津川の上荷舟(うわにぶね)で美しい。

 別にこんなところにお金をかける必要もないが、とりあえず精華町も作るとすればどんなデザイン?・・あまりこれといった特徴が思い浮かばない。
 で「何がいい?」と妻に尋ねたら「弾薬庫しかないな」と即答した。
 京阪奈学術研究都市に隣接する弾薬庫。
 後世の史家に嘲笑される話題提供のためには「それもいいか」。

冗談はそれぐらいにして、政府はこの「祝園(ほうその)弾薬庫」を増強することを決定した。
そのことについて、共産党の山添拓議員が参院外交防衛委員会で、■ 自衛隊祝園弾薬庫は、1960年に米軍から自衛隊に移管された際、当時の防衛庁・自衛隊と分屯地が所在する精華町との間で、「貯蔵施設の拡張はしない」など23項目の「確認書」を交わしている・・と追及したところ、木原稔防衛相は「要望と回答を確認したもので、契約的な意味を持つものでなく、必ずしも事前協議は必要ない」などと拒否。言語道断。

 住民が必死につくらせた確認書を簡単に反故(ほご)にして、まともな説明もなく危険な弾薬庫の増設に走ることは許されない。

2025年3月5日水曜日

抹殺された佐紀池ノ尻古墳

    私の住居表示は京都だが、文化圏でいえば奈良文化圏となる。ヨーロッパでいえば、例えばフィンランド人だがスエ―デン語(文化)の地域があったり、現在はややこしいことだがウクライナ東部でロシア語(文化)が現実にあるのに似ている。
 その奈良の北部では近ごろ古墳時代の新発見が続いていて、私のような素人も頭の中が忙しい。
 
 今般奈良市埋蔵文化財調査センターが発表し新聞等でも報道されたのは「平城宮跡の北の端に全長約200mの巨大前方後円墳が見つかった」「平城京造営の際にきれいにつぶされた」という。(仮称:佐紀池ノ尻古墳)(写真のコナベ古墳の下(南))
    場所は、伝天皇陵古墳を含む佐紀盾列古墳群の一角。大きさは天皇陵古墳と言っても遜色がない大きさ。
 平城京造営の際、中小規模の古墳がいくつも壊されたのは知られているが、平城京造営の主導者藤原不比等が、どうしてこんな巨大前方後円墳を壊せと命じたかが不思議である。
 佐紀盾列古墳群には天皇家や皇族の墓と称されている古墳もある中で、不比等はいかなる確信をもってこの古墳の抹殺を命じたのか。反対に言えば、不比等はこの古墳を誰の墓だと認識していたのだろうか。

 天皇陵ではないとしたら、ここの古墳群を作った豪族は誰か。和邇氏?春日氏?あるいは葛城氏?
 今もこの一角には葛木神社があるし、五社神古墳は葛城出身の神功皇后陵と伝えられている。
 また、話は富雄丸山古墳に繋がるが、麛坂皇子(かごさか王)忍熊皇子(おしくま王)を輩出した反逆者の地との認識などもあったか?
 次の写真はコナベ古墳。ここの南にあったが、今は住宅地になっている。

2025年3月4日火曜日

おお ひばり

    国松俊英氏の著書には「関東平野でヒバリが鳴きだすのは3月1日ぐらい」とあるが、ピッタリ3月2日にわが家近くでも鳴き始めた。
 何もかもが「東京標準」に誘導されている昨今、😡ヒバリよ、お前もか!と言うべきか・・・
 乱視のせいでもないだろうが、大音量で鳴いているのに目視できない。で、代わりに庭のカワラヒワの写真で勘弁していただこう。
 『ヒバリが空高く上がると晴天』と同じ著書にあるが、3月2日の天気は小雨に近い曇天。よって、この「ことわざ」の真偽は保留にしておく。

 ヒバリは、天の恵み 地の栄えを讃えて歌っている。


2025年3月3日月曜日

旧暦の絵暦

    空を見上げれば新月(朔)が1日、満月が15日(十五夜)だから、暦(カレンダー)が読めなくても旧暦はその限りでは便利だった。
 
 あとは閏月を知る必要があったが、そのためには絵暦(めくら暦)があり、大刀、小刀で大の月、小の月。人間の股で また→閏月。さらには、半裸の男が涼んでいて土用は年に4回だが典型的な夏の土用の入り。荷を奪う盗賊→荷奪い→入梅。禿げ頭で 禿げ生ず→半夏生となると、読み解くのも難しい。

 長沢工著『はい こちら国立天文台』では、原則として公的には存在しない明治5年改暦以後の旧暦(の換算)についての質問には答えないとあった。(市販の私的な出版物ではこう書かれているという扱い)
 ただし、在日韓国人は自分の誕生日を太陰太陽暦で記憶しているので換算をして回答したという。

 これに関係するともう一つ元号の問題がある。
 その著者は例えばこれまで「1968年十勝沖地震」などとしていたが、政府の指示で「昭和57年浦河沖地震」「平成6年北海道東方沖地震」というように変わっことを「科学の世界に無用なものを持ち込んだ」と批判している。科学的には途切れない年月が良いに決まっている。
 未来になって、今の私が例えば「天平13年、行基、狭山池というのは西暦なら何年?」と迷うように、「平成と令和はどっちが古い?」と迷う未来人も出てくるだろう。(AIが解決するとしても)

    元に戻って「絵文字」だが、これは暦だけでなく絵文字の「お経」なども実際に存在した。下の写真は「摩訶般若波羅蜜多心経」と読む。
 上の写真の暦の左下の、三重塔+琴柱(じ)で「冬至」のような「絵文字の暗号文」はみんな小学生のころよく作ったのではなかろうか。
 この文化の上に各種メールの「絵文字」が日本で発明され、今や世界標準になっているのはナルホドだ。
 ピクトグラムも含めるとすれば、絵文字こそ世界言語にならないだろうか。(しかし釜をひっくり返して魔訶というのは無理だろうね)

2025年3月2日日曜日

水に流す

    3月3日はひな祭り。由来は上巳の節句で、災いを人形(ひとがた)に移して水に流し去る素朴な行事。
 昨日は「陰陽道は平安時代」と書いたが、そもそもは中国の道教で、古墳時代からすでにこの地にも伝播していた。
 飛鳥が世界歴史遺産登録に向けて推薦されているが、飛鳥の石の遺跡は言い換えれば水の文化。
 それらのことごとを「古臭い迷信」と捨て去ると面白くない。
 コロナパンデミックを経験して思うのだが、村の出入り口に勧請縄や道祖神を設置するのは「人的交流の抑制」だろうし、水の祭祀は「手洗い励行」だったかもしれない。
 疫病の大感染は重大な脅威だっただろう。
 写真は平城京出土の人形で、いうならば「流しびな」のルーツのひとつ。

    もう「流しびな」に適する小川などはないから、庭のバードバスに浮かべることにした。
 災いは鳥が「根の国」あたりに運び去ってくれるだろう。

2025年3月1日土曜日

南都陰陽師

    奈良市で以前から気になっていたことの一つは、奈良町の「からくりおもちゃ館」の隣に鎮宅霊符神社があり、そのあたりの地名が「陰陽町」であることだった。
 奈良は古い都であるから当たり前のようにも見えるが、陰陽道(おんみょうどう)は平安期、つまりは京の都で発達したものだから、それがどのように古都(南都)に及んだのか、勉強不足のまま放っておいていた。

 さて、奈良市高畑にある奈良労働基準監督署などと道路を挟んで西側は紀寺という地名であるが、そこにバス停「幸(さいわい)町」がある。(幸町という地名は奈良市にはない)
 先日そのあたりにお住いの先生からそのいわれを聞いたところ、そのあたり(の一部)は、旧町名が幸町であるだけでなく、現代でも普通に幸町と呼ばれているらしい。まるでタイムスリップしたアンダーグラウンドだ。

 そもそも陰陽道・陰陽師のヒーローは安倍晴明だが、その師は賀茂忠行で、安倍晴明の家系は後に土御門家として隆盛を誇ったが、賀茂家の方は少し後方に下がり、その庶流の「幸徳井家」は南都にて南都陰陽師となった。
 そのため、その居所が「幸徳井町」と呼ばれ、その後、その簡素化された町名が幸町となって残っていたということだ。(今は紀寺という町名に吸収された)
 冒頭に言った陰陽町(いんようちょう)はそこから少し西に行った場所になる。
 そういえば、その近くで、中世の庶民信仰の遺物が豊富に残されている元興寺にも、道教・陰陽道の護符等の遺物が多いから、ナルホドと理解が進んだ。
 蛇足ながら、賀茂家の祖先は吉備真備と伝えられている。
 南都図絵にも吉備塚の前で祈る(南都)陰陽師が描かれている。
 それにしても奈良は面白い。古代や中世があちらこちらに顔を出している。

2025年2月28日金曜日

鯛の鯛

    井上ひさし氏の言葉に「・・まじめなことを愉快に・・」という名言があり、その境地に少しでも近づきたいと思っているが・・、鯛の鯛の話・・。

 私は鯛の「おかしら」を食べるのが好きなのだが、先日娘ファミリーが大きな兜煮を土産に持ってきてくれた。尾頭付きの鯛ではなく、頭だけの「おかしら」だ。
 兜煮の土産というのも少々変わっているが当方は嬉しくいただいた。

 「昔は殿様が鯛の頬の肉だけを食べはったもんや」と親に教えられて育ったが、子どもにアラで我慢させる方便だったのだろう。
 おかげで、目玉、唇、頭頂、そして頬、それらの裏側のコラーゲン?をせせって食べるのが上手くなった。(「せせる」という大阪弁お解り?)
 大きいので頭の方を私がとり、カマを妻が食べたが、さすがに我がファミリー、妻はカマにある鯛の鯛を上手く折らずに発掘?した。ご存じのとおり食べ方の下手な人は鯛の鯛の頭と胴を二つに割ってしまう。

 ただそれだけのことだが、鯛や鰤カマなどほとんどの魚にあるから、一瞬でも食卓が賑やかになる。
 「割れずにとれたので縁起がいい」「江戸時代はお守りにもなっていた」・・・そんな話を実用性のないつまらん話とするか、ちょっとした出来事を愉快に語るか。

2025年2月27日木曜日

おんだ祭

    奈良市菅原町・菅原天満宮の『おんだ祭』に行ってきた。ここは土師氏が菅原の名をもらった土地であり、孫の凜ちゃんがお宮参りをした神社である。 
 縁起の割には小さな天満宮だがその日は大勢の参拝者だった。
 (土師氏は元は古墳の築造や埴輪の製造などを担っていたが、薄葬令以後学問の道に変更し、菅原や大江になった)

    境内で、正味1時間もかけて稲作の所作を狂言のように演じるのだが、さすが奈良の地と言おうか、熱のこもった「演技」に引き込まれ、牛役の子どもや出ずっぱりの翁の息切れの音には「がんばれ」と声も出た。

 演者と観客が一体となると、肥まきの場面では観客に頭からぶっかけ(もちろん動作のみ)て、ぶっかけられた観客もリアルに悲鳴を上げるなど、祈り、祈願の神事から笑いの芸能が生まれたことが文句なく納得できた。
 (寄り道だが、以前に見学した某有名八幡宮のおんだ祭は形式的に流れ形骸化していたゾ)

    常連風?の方に教えてもらい、祭場周囲のロープに吊るされていた紙の束から紙をとり、「おひねり」をいくつもポケットに用意し、牛役の子どもの熱演に「おひねり」を投げ入れるのも楽しく、そのことで参拝者もただの観客でなくおんだ祭の参加者を実感した。

 私も、種もみ(これは本物)や肥もたっぷり浴び、早苗である「松葉」をもらって帰った。。
 神事風に言うならば、これで私も参拝者全員も家内安全、五穀豊穣間違いなしということだろう。
 米価高騰とコメ不足のことは、今日のところは横に置いておこう。

    夕方、奈良テレビ(県内のニュース「五穀豊穣などを願う菅原天満宮おんだ祭り」)で報道されたから、詳しい解説は当分の間スマホの動画等で見ることができる。

2025年2月26日水曜日

早春には若ごぼう

    24日の記事はチョッとB級グルメ寄りの話だったので今日はA級グルメでお口直しを。
 季節の食材、大阪は八尾の若ごぼうだ。
 昔は当地のイオンには出されていなかったが、「若ごぼうを置くように」と私などが店員さんに言っているうちにここまで来た‥と、ちょっと感慨深い。
 ・・が、売残つて値引のシールのものもあり、関西人の頭も東京一極集中の情報にマインドコントロールかと心配する。

    若ごぼうは根、茎、葉と捨てるところがない。少し湯がいてアク抜きをしてから、薄揚げと豚肉で炒め煮するのが簡単で美味しい。

    写真は根っこの皮あたりをこそげているところだが、真っ白にこそげてしまうと野趣が飛んでしまうので、あえてけっこうワイルドにすましている。
 若ごぼうは、文句なく早春の味だし、大阪の味である。

    

2025年2月25日火曜日

早春は遠くない

    〽春は名のみの風の寒さや~ などと歌いたくなるが、1936年(昭和11年)2月26日=226事件の東京は大雪だったから、この寒波も腰を抜かすほど珍しいことでもないようだ。 

 近頃は天気予報の精度が上がって雪の予報のシミュレーションがテレビに映されるが、いつもいつも北朝鮮の東海上の全く同じような場所から雪雲が発生しているのが興味深い。
 朝鮮半島東部を北上した対馬海流(暖流)がシベリア高気圧の北西風に水蒸気を供給して、ここが我が国の日本海側の豪雪の発生源になっているらしいことが素人目にもわかる。この場所よりも東北方面の海上は北朝鮮寒流で、大きな雪雲の発生源ではなさそうだ。

 そして福井嶺南敦賀地方から北陸本線に沿って米原・伊吹山をこえて大雪が降ることはご存じのとおり。
 「大野伴睦が進路を変えたから東海道新幹線は弱点を抱えた」という恨み節もあるが、この豪雪が滋賀、京都、大阪の命の水がめ琵琶湖を維持し、濃尾平野の農業を支えている。
 幸いというか、京都最南部のわが地方にはほとんど雪は降らない。
 子どもたちには可哀相だが、高齢者にはありがたい。

 それはさておき草木も春を待っている。
 赤旗日曜版に載っていた牧野記念庭園学芸員の田中純子さんのエッセイによると、「植物採集行進曲」というのがありその5番の歌詞は牧野富太郎博士の手になるものだと書いてあった。
 「草木可愛(かわい)の心をひろめ 愛し合いましょ吾等(われら)同志 思い遣りさえこの世にあれば 世界や平和で万々歳」という。ああ世界中の為政者に教えたい。そして私自身もこのような大きな心を忘れないように。
 春は遠くない。
 この原稿、23日の日曜日に書いた。24日も吹雪の一日だった。25日は暖かくなるようだ。

2025年2月24日月曜日

想い出の味

    ラジオを聴いていると、大阪以外の方が「大阪人の紅しょうがの天ぷらはありえない」というような話をよくするが、それによく似た地方独特の食べ物はいくらでもある。
 それらを大げさに笑うのがテレビのケンミンSHOWだが、食文化というものは甘い辛いを超えた故郷の味だし半自伝のようなものだから、その人にとってはかけがえのないものである。

 先日、朝から妻と買い物に出かけ「昼食は麺類で軽く済まそうか」となり、麺と出来合いの天ぷらを買うことにした。キツネ用の揚げはストックがある。
 そして妻はエビの天ぷらと日本そばを購入した。王道だろう。
 そして私は中華そばとアナゴの天ぷらを購入した。中華そばである。

 実はその昔、私の通っていた公立高校には食堂があった。そしてそこの「タヌキ大」が中華そば2玉と揚げだった。タヌキがなぜ中華そばなのかは知らないが、そこで3年間を過ごした。
 そういう中華そばの和風だしを妙に食べたくなった。そういう郷愁を食べたくなった。

 最後にこれは全く今回のアレンジだが、中華麺の和風だしに庭の花柚子を思いっきり搾って加えた。
 妻もオーソドックスな天ぷらそばに花柚子を搾ったが「これは美味しい」と高評価だった。

 やっぱり人の食文化を笑ってはいけない。それは文化なのだから。

2025年2月23日日曜日

中国の少数民族

    以前にテレビで『関口知宏の中国鉄道大紀行』というのがあったが、どこかの海岸で中国西部あたりからの遠足みたいな子どもたちと関口が「日本人だ」というような会話をしたとき、「日本人は海を知っているか?」と聞いてきた会話が実に楽しかった。そしてあの大きな大陸ではさもありなんと納得した。
 先日、『民族がわかれば中国がわかる』という中公新書を読んだが、中国には公的な定義で56の民族が住んでいる。さらに未識別の民族が80万人以上いるらしい。それらの多くは南部にいる。
 この本は、各民族の歴史的な立ち位置のようなものに重心があったが、文化や習俗でいうと日本人、日本文化のルーツのように見える事柄も少なくない。
 荒っぽく言うと政治の北方に対して文化の南方で、傾向としては南方人は北京の政治に対して批判的な傾向があったが、近年、特に習近平体制になってからは、香港を見るまでもなく均一化の押し付けが強まっている。
 ただ、日本でさえケンミンSHOWみたいに県民性の特徴があるのだから、ほんとうは大きな違いがあるのだろう。ただこの本ではそれほど紹介されていない。

 若い頃、労働組合の本部にいたが、例えば北陸ブロックで酒を飲むと「あの時信玄と信州は・・・」とか、東北ブロックでは「戊辰戦争の時に伊達は・・・」というようなちょっとした恨み節が語られたりしたが、その伝で行くと中国大陸では、民族や地方間で大虐殺などが繰り返された訳だから、表面には出ていないが多民族国家の「経営」は難しいだろうなあと変な同情も湧く。
 中国にしてもインドにしても、ヨーロッパ全体に匹敵する広さと民族を抱えている。
 我々日本の多数派には民族問題などの関心が薄いが、そのままでは世界が正確には見えてこないのではないか。
 四川料理は辛い! 茅台酒は貴州だ! から一歩踏み出そうと。