時代は発掘された須恵器の年代測定等から4世紀後半、ということは百舌鳥古市古墳群築造の前夜。
場所は後年の難波の津から大和に向かう暗峠(くらがりとうげ)越え奈良街道で奈良盆地に入ったところ。北東には遠くなく佐紀盾列古墳群があるので同古墳群の西の端と考える説※もある。
日本最大級直径109mの円墳で前方後円墳ではない。
近年墳頂部ではない「造出し(つくりだし)」部分から割竹形木棺、世界最大の蛇行剣(だこうけん)や前例が知られていないような鼉龍文盾形銅鏡(だりゅうもんたてがたどうきょう)、さらに3面の銅鏡などが発見されている。
墳頂から西を向くと生駒山(暗峠)、東を向くと若草山が望め、古墳の立地条件としては特等席に感じられる。
造出し部分は形を留めていて、パンフレット等で見た出土品の出土状況がリアルなほどに想像できた。埴輪の破片や葺石も積み上げられていた。
1 北北西直線距離2.5kmのところに添御縣坐神社があり、この辺りは添の縣の可能性がある。
2 佐紀盾列古墳群の一画にも添御縣坐神社がある。
3 佐紀盾列古墳群の古墳は大王クラスの古墳群である。
4 富雄丸山古墳は最大の円墳である。
5 主要である墳頂ではない造出しから出土した銅剣や銅鏡は類例のない立派なものである。
6 これらのことから、単なる有力首長(豪族)以上の人物が墳頂に埋葬されたと考えられる。
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