2025年11月20日木曜日

歴史的健忘症防止

    五木寛之氏の本の中に、「歴史的健忘症を憂う」という小節があってハッとさせられた。 
 執筆は2024年の5月1日のことだと思われるが、「新聞5紙に目を通したけれども昭和27年の血のメーデー事件に触れている記事はなかった」「警察が戦後初めて群衆に向かって水平射撃をした。それだけ大きな出来事にもかかわらず、私の記憶には残っているけれども新聞には1行も出ていない」と指摘し、続けて「これはいわば歴史的健忘症です。それをジャーナリズムが自ら進んで患っているような感じがする。この国はボケてきたのかもしれません」とあった。

 さて、11月19日朝日朝刊トップ記事の見出しは、日中局長協議に係わって「日本側、対抗措置に反論」であり、その下の段には「総領事国外退去吉村氏「検討」を」であった。そしてネット社会では、高市発言はスルーしたまま中国の対応を非難する短文があふれている。もしかしてこの国は・・・

 で、私は五木氏に叱られぬよう歴史の記憶を引っ張り出した。
 俗に歴史の分かれ目といわれる1933(昭和8)年、国際連盟脱退を報じた新聞である。
 「聯盟よさらば! 我が代表堂々退場す」である。

 これを半藤一利さんの残された言葉でいえば、『よく各新聞社の社史には「軍部と内務省の圧力で言論を封じられたので、新聞もそうならざるを得なかった」と書いてありますが、それは嘘ですね。みんな自分たちで煽っていますから』
 『昭和8年に日本は国際連盟から脱退します。その時は斎藤実内閣です。のちに二・二六事件で殺された人です。どちらかと言うと、穏健内閣ですから国際連盟を脱退しないという方針に踏みとどまっていました。脱退派が閣僚に山ほどいて、大論議が起きていたにも関わらずです。その時に、政府の尻を叩いて、早く脱退しろと唱えたのは新聞社です。全国の新聞社130社余りが合同で声明を発し、「日本はもう独自の道を歩いた方がいい」「何も米英のあごに使われる必要はない」と言って、脱退を促しました。国民もこれに喝采しました。このように新聞は煽ったんです』

 歴史的健忘症。的確な指摘だと感心している場合でない。

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