原因はそれぞれの語る時代の差であって当然なのだが、昭和33年以前というと脱脂粉乳の時代だった。
それを実際には飲んだことのない世代が、現代のスキムミルクのようにテレビやラジオで語るのには違和感がある。
先日『ピースおおさか 大阪国際平和センター』で「戦後の給食」の展示を見て、その違和感を思い出した。
当時アメリカからララ物資と呼ばれ、救援?(購入?)された脱脂粉乳とは、バターなどの製造で大量に余った残滓で、普通には家畜の飼料であった。
段ボール紙製のドラム缶に入ったそれが調理室の前の廊下にあったが、こっそり手ですくって食べると美味しい粉ミルクだった。・・が、それを大量の熱いお湯で溶いたものが「給食の脱脂粉乳」だった。
つまり、ぬるい飲み物で、味は薄く、匂いもよくなかった。
それに、パンはピース大阪展示のコッペパンみたいにツヤはなかったし、おかずはもやしやクジラが多かった。いやクジラはたまに出た上等なおかずだった。
過ぎ去った思い出は郷愁によって味付けされるものだが、私の給食の思い出はいつまでも不味いままである。
妻はまったく給食の経験がないというし、時代と場所によって大きく異なるだろうが、私は今でもあの脱脂粉乳を飲みたいとは思わない。
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