これを高橋源一郎訳から摘むと、・・「神様とか祭りとか祈りというのは・・峻厳(しゅんげん)なもので、そのことを理解するためにどうしても犠牲を必要とする。そのことを含めて礼というのだから、私(孔子)はそういう礼の考え方をとても大切に思う」。
さて、これはきっと正解なのだろうが、どうも現代の課題についてはしっくりこない。
なので曲解といわれるかも知れないが、これを私(長谷やん)は、「古くから伝えられている行事などは、害が明らかでない限り、できるだけ大切にしよう」と理解している。
これは商業主義(金儲け)や権力におもねる行事とは思えない。
もちろん、邪気などというのは科学的ではないが、反対に、歴史を学び理解するためには「慣わし」など年中行事を、現代の常識でばっさり斬って捨ててしまったのではその神髄に迫ることができないとも考える。
なので私は、菖蒲の鉢巻きをして歴史に思いをはせるのである。
去年もそうでしたが私の住む豊中市は変に「都会の田舎町」です。スーパーでもコープでも菖蒲は置いてなくて店員に聞くと「何に使うのですか?」と訊かれます。今年もシャワーで済ませました。
返信削除「何に使うのですか?」は愉快、愉快。 そういえば、近くのスーパーに昔は菖蒲湯用の菖蒲やヨモギを束ねたものを売っていましたが近頃は菖蒲単体を花卉専門店で売っているだけになっています。
返信削除豊中で売っていないとは驚きました。 「都会の田舎町」ではなく、良くない意味で都会中の都会なのではないでしようか。豊中で菖蒲を買おうの住民運動が必要かも。
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