2021年12月8日水曜日

鬼手仏心

 7日、しんぶん赤旗の「読者の文芸」の「川柳」に採ってもらって掲載された。

  「鬼手仏心」壁紙にする手術の日

 選者たむらあきこ氏には唯一(評)までいただいたから、今週の特選扱いだと自惚れたが、「この句はチョット補足してやらないと判り辛い」とサポートしてくれたのかもしれない。

 たむらあきこ氏(評) 「鬼手仏心」、医者が手で行うことは残酷に見えて慈悲心があるの意。この言葉(の色紙)をスマホの壁紙にして、すべてを委ね作者は手術に臨む。

 たむらあきこさん、過分な(評)をありがとうございました。

 壁紙とはスマホのいろいろな画面の背景写真のことをいい、子や孫やペットなどを壁紙にする人も少なくない。スマホを操作するときにパッと目に入ってくるので、プロマイドのようでもあり、「お守り」のようにも思える。

   「鬼手仏心」は(評)のとおり、ここでは別掲の色紙を壁紙にして、外見は「鬼手」のような手荒な手術にしても、その心は「仏心」のように患者を思って優しく進めてね!という私の気持ちの代弁。そのスマホを「お守り」にして手術のための入院をしたということ。

 2021年新春、心ひそかに「今年中には短歌と俳句と川柳でそれぞれ採ってもらえること」を目標にしたが、2021年も残り3週間ほどで一応最低限の目標を達成した。
 それにしても、目標達成の記念碑が「手術」で、それも「不成功」だったから、喜んでよいのかどうか。

 さて、少なくない新聞等がこぞって毎週のように短詩を掲載する、つまりプロでない「普通の国民」が普通に短詩をせっせと作る国は世界中広しといえども外にないという文を読んだことがある。
 ならばと、国語が欠点であった昔を忘れ、その列島の住民の長所に乗っかってみた次第。世界の中の「少数派」というところがいい。

 それに、先日亡くなったノーベル賞受賞科学者・益川敏英氏は、研究と同時に平和運動、労働組合運動でも東奔西走され、そういう「二足のわらじがはけなきゃ一人前じゃねえ」とおっしゃっていたのが胸の奥に刺さっている。。
 古いCMの駄洒落に「ラベルが違うよ」というのがあったが、ラベル(ほんとうはレベル)は及びもしないが二足のわらじ(草鞋)を履けるよう努力だけはしてやろうと思っている。結果は問わないで・・・。

 人間、特に男は歳をとるとヘンコツになると言われたりするが、ヘンコツな爺さんほど厄介なものはない。自省、自省、自省。
 古人は「軽ろみ」も教えてくれている。できれば一瞬でよいから「軽ろみ」の境地で短詩に臨みたいものだ。来年は「軽ろみ」に挑戦だ。

4 件のコメント:

  1. 昨日の川柳、私は意味が分かっていたが選者の読みの深さに感嘆した。
    昨晩はNHKの「プロフェッショナル」で夏井いつきさんが紹介されていたがこの人の俳句に向かう根底に教師時代に経験した荒れる生徒たちへの深い愛情があったことが垣間見えてこれも感動した。「言葉」の持つ強さ、やさしさを感じました。

    返信削除
  2.  ひげ親父さん、私の川柳を判っていただいてありがとうございます。
     その後、入院中も、ベッドの上で駄作を捻っておりました。人生、大切なことは空元気だと信じております。

    返信削除
  3.  FBに転載したところ、少なくない方々から「いいね!」をいただき、ありがとうございました。

    返信削除
  4. ひげ爺にはわかるんだ!
    私はわからない!

    返信削除