近頃は、例えばブラックフライデーなどなどデパートやスーパーとテレビラジオが年中?行事を煽る傾向があって面白くないが、さはさりながら、旧習は馬鹿なことだと思いを致さないのもいただけない。
極論を言うと、歌や舞などの文化の淵源には神事があったし、文学を読み解くうえでもその種の教養は必要である。故に、年中行事にしても、歴史とその古さゆえの非合理的な側面を咀嚼して理解しつつ、大事にしたいと私は思っている。
1年に1回の作業をルーティンワークと言ってよいのかどうかわからないが、今年も祝箸の箸紙(箸袋)を作成した。古い大阪の形で「下から上に入れる」形である。今般の文字は「吉祥」にした。めでたいこと、幸先の善いことの兆しあり という気持ちで文字を選んだ。
そういう作業を通じて、1年を振り返り、新年にはさらに努力しようと決意すると言ったら「ええかっこ」だろうか。
年末の風も入って箸袋
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