2021年12月30日木曜日

去年今年

   高浜虚子の有名な句に、 去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの というのがある。物理的にいえば新年などといっても一続きの時間だとの指摘は味もそっけもないが、そういう本質をあえて俳句にしたのも偉い。

 近頃は、例えばブラックフライデーなどなどデパートやスーパーとテレビラジオが年中?行事を煽る傾向があって面白くないが、さはさりながら、旧習は馬鹿なことだと思いを致さないのもいただけない。

 極論を言うと、歌や舞などの文化の淵源には神事があったし、文学を読み解くうえでもその種の教養は必要である。故に、年中行事にしても、歴史とその古さゆえの非合理的な側面を咀嚼して理解しつつ、大事にしたいと私は思っている。

 1年に1回の作業をルーティンワークと言ってよいのかどうかわからないが、今年も祝箸の箸紙(箸袋)を作成した。古い大阪の形で「下から上に入れる」形である。今般の文字は「吉祥」にした。めでたいこと、幸先の善いことの兆しあり という気持ちで文字を選んだ。

 そういう作業を通じて、1年を振り返り、新年にはさらに努力しようと決意すると言ったら「ええかっこ」だろうか。

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