2021年12月27日月曜日

小選挙区が政治を劣化させた

   細田博之衆院議長は1220日自民党の会合で、15都県の衆院小選挙区定数を「10増10減」とする「1票の格差」是正策について、「数式によって地方(の分)を減らし、都会を増やすだけが能ではない」と批判したが、2016年法改正に基づく施策について、公正中立な立場で議会運営に当たらなければいけない議長が異論を唱えるのは異常なことである。

 司法の場で度々「違憲状態」が指摘されたため、国勢調査の結果にあわせて定数を変えていく仕組みをつくったのは自民党であるが、山口県のように党内で重要な県?が減らされるとなると異を唱えるのは身勝手極まりない。

 そもそも小選挙区制には国勢調査(人口の変動)の度に定数や区割りを変更しなければならないという基本的な欠陥があることを直視すべきである。

 連邦制の国家や合衆国のような場合を少し横に置けば、国会議員選挙の原則の基本を小選挙区制にする必要はどこにもない。否、害ばかりといえよう。

 いみじくも細田議長は「人口比で国会議論が進められるなら人口の少ない地方(田舎)の意見は多数の都会の意見によって無視される」という趣旨の発言を行い、少なくない世論がそれを首肯している傾向があるが、国会の議論が公平民主的に進められるかどうかは社会の民主主義(民度)と各政党の見識の問題である。それを選挙制度の問題としてとらえるのは問題のすり替えである。

 この国には、都会と田舎以外に、もっと激しい違いが各部署にある。女性の雇用と賃金の状況を見れば、都会と田舎の定数以前に男女で平等な定数であるべきだという主張もある。
 使用者責任の存する使用者と労働者の立場の違いを国会に反映させるなら、その人口比を定数に反映させるべきだと考えてもおかしくない。商い人と消費者、産業ごとの利害等々、それらを選挙制度、定数で解決できるはずがない。だとすると、都会と田舎だけがどうして選挙権で1対0,5や0,6で構わないと言えようか。

 元に戻って、国会は国民の多様な意見を実態に即して反映させ、違いを超えた一致点を合意すべく議論することこそが最重要課題、使命である。
 その基礎となる選挙区を小選挙区にして、その選挙区の代表意見は比較多数の個人や政党の意見と同じと言い切ることこそ虚構である。その選挙区にも多様な意見があり、他の選挙区にも同様に多様な意見があり、国民の中にも無視しえない多数の意見があるのが現実であるにもかかわらず、それぞれの選挙区で比較多数で無かった意見はいわゆる「死票」となることこそ最も決定的な小選挙区制の致命的欠陥である。

 2021年の衆議院選挙大阪府の小選挙区の結果を見よう。定数19の内、維新が15、公明が4,あと自民も共産も立民も国民もれいわも0であるが、これが大阪府の意見の実像でないことは明らかでないか。事実、二度にわたるいわゆる都構想は住民投票で否決されたことをなんと見る。

 香港の選挙を非民主的だと批判するなら、現実に起こっているこの大矛盾を放置しておいてよいはずがない。
 安倍内閣後の政治を語るには紙数が足らないが、この国の政治の劣化を招いた原因の重要な一端が小選挙区制にあるのは明らかではないだろうか。

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