昨日は「古事記の中の歌を稗田阿礼は太安麻侶にどう歌って見せたのだろう」というようなことについて書いたが、『白鳥になった皇子』は、「おわりに」と「補論」が40頁もあって、「古事記偽書説」との論争が書かれていて、私としては本の最終コーナーで、ある意味本文以上に大いにワクワクした。
その40頁の紹介を逐一できないが、「古事記は太安麻侶の後裔で平安初期の人である多朝臣人長が撰録した」という大和岩雄氏の主張なども紹介の上で、例えば「飛鳥清原大宮御大八洲天皇」というような表記の時代区分などについて詳細に直木先生が論じられているのには頷くばかりだった。
もとより、古事記に書かれている内容は歴史の事実、真実ではないが、だからといって「神から天皇につながる物語なんて」と言って見向きもしないのが進歩的でも何でもない。
古事記が編纂された時代の為政者がその内容を「良」としたことは歴史の真実なのだから。
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