11月中旬のアブレーション(手術)の日程はその1か月以上前に決まったから、入院中に何を読もうかということを楽しみに書店をウインドショッピングし、結局、直木孝次郎著『白鳥になった皇子』を購入して入院した。
その内容は少し私自身の予想に反していて『古事記』の現代語訳?だったが、古事記に出てくる歌を丁寧に現代語訳されているのが新鮮だった。
ただ、病院のベッド上では読む気力も長続きせず、最初の入院では読み切れなかったが、幸か不幸か(不幸なのだけれど)直ぐに再入院し、お蔭?で読み終えることができた。
先に述べたとおり、古事記の各種の物語は別にして、例えば有名なヤマトタケルの「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣(あをかき) 山隠(やまごも)れる 倭しうるはし 」などの歌々が詩的に訳されていた。・・だが、そのいくつかはいわゆる五七調ではなく、この歌を稗田阿礼はどのように太安麻侶に伝えた(歌って見せた)のだろうか。
「母は昔パパだった」で有名な大野晋先生なら歌ってくれただろうか。
テレビで雲貴高原の少数民族の歌垣のようなものを聞いたことがあるが、そのイメージを 適当に書くと、〽今日はよくいらっしゃった あなた方は友人だ 私たちは料理を作って歓迎する ・・・」というような挨拶から歌が始まっていたが、古事記の時代はあんなイメージで「歌が生きていた??」に違いない。
千田稔先生が「古事記は口誦しないと・・」と指摘されていたようにも思うが、東アジアに息づく歌う文化に新しい興味と疑問がふつふつと湧いてきた。
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