妻の実家のお餅つきでも、譲り受けてからはわが家でも、さらには自治会のお餅つき大会や老人ホームのお餅つき大会でも使われてきた。
義母の晩年には老人ホームのお餅つき大会で、「おばあちゃんのカマドを使っているよ」というと、懐かしそうに嬉しそうに喜んでくれた。
作業メンバーもみんな揃って「年代ものですね」「そういえば昔見たことがあるね」「味があるね」などと感心した声が多かった。
歴史つまりは思い出がいっぱい詰まった薪カマドで、そういう意味では「使用価値」はとても大きいものだ。
難点は、ごらんのとおり煙突という発想がないからどうも燃焼効率が悪く、上手に使用するには技術が必要なことである。
そこで、今後のために、もう少し効率の良いカマドに買い替えることにし、『昔の暮らしの道具』として然るべき「資料館等」に寄贈すべく電話をした。
その結果は、保管スペースもこれあり・・と、どこも断られた。
そうか、思い出というスパイスまで効いた使用価値だけで寄贈を考えたが、客観的な交換価値はなかったのだ。
何かいっぺんに体から力が抜けていく感じがした。
『資本論』の冒頭ですね。使用価値の話はあっさり終わってしまうのですが。
返信削除mykazekさん、タイトルに付けたパロディを読み解いていただきありがとうございます。深入りするつもりはありませんが、第1篇 第1章 第1節 です。
返信削除