2020年3月29日日曜日

またまた親鸞

   親鸞の本は「また新しい発見があるのではないか」と、つい買ってしまう。
 「年寄りは外へ出るな」的なキャンペーンもあって、イクジイの間に楽しく読んだ。

 一番学んだことは親鸞のことではなく、歴史、とりわけカッコ付きの「定説」のようなものがどのように形成されるか、形成されていったかということだった。(中公新書『日本史の森をゆく』にもあった)
 そして、浄土真宗外部の研究や文学作品が浄土真宗の教義のようなものも進歩させたとも読んだ。
 そのことは、各種の宗教原理主義が現実社会で果たしている否定的役割の対極と見た。

 よく似た視点といえば平雅行著『歴史のなかに見る親鸞』の方が目から鱗的な印象だったし、もっともっと昔でいえば故福永光司氏の「浄土真宗は道教そのものである」(五木寛之・福永光司著『混沌からの出発』)という見解も衝撃的だった。

 高校生の時に勧められて倉田百三著『出家とその弟子』を読んだ時には、親鸞は当時の私の琴線には触れなかったが、このごろ親鸞が好きになったのは年齢のせいだろうか。

 他力本願は決して後ろ向きの思想ではないと思っている。

   火葬待ち棺並んだというスペイン風邪その風景をライブで観ている

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