昨日は9年前のフクシマであった戦慄の奇跡について書いた。
今日は距離的に言えば近畿と言ってよいほど身近な原発銀座・若狭湾について触れてみたい。
昨日の記事の主人公樋口元裁判官が運転差止判決を下した大飯原発もここにある。
1586年(天正13年12月)の天正地震について、宣教師ルイス・フロイスは『日本史』にこう書いている。
「若狭の国には海に沿って、やはり長浜と称する別の大きい町があった。(注・東大地震研は「高浜」の誤りではないかとしている)・・・その地が数日間揺れ動いた後、海が荒れ立ち、高い山にも似た大波が、遠くから恐るべき唸りを発しながら猛烈な勢いで押し寄せてその町に襲いかかり、ほとんど痕跡を留めないまでに破壊してしまった。高潮が引き返す時には、大量の家屋と男女の人々を連れ去り、その地は泡だらけとなって、いっさいのものが海に呑みこまれてしまった」。
京都の公家吉田兼見の日記にも「丹後、若州、越州、浦あたり、波を打ち上げ、在家ことごとく押し流す、人死ぬこと数知らずと云々」とある。
磯田道史氏によると、歴史地震学者はこれらの記述から「4~5メートル以上の津波」と推定している。
そして旧原子力安全・保安院は「天正地震による津波があったとしても・・・小規模な津波であったものと考えられる」と評価したが、利害関係者の数字が信用ならないことは嫌というほど経験した。
コロナ騒動に目を奪われて、忘れてはならない大事なことがある。
大ウソをつく政治家に人権の制限をも含む非常事態法を与えてはならない。
自粛せよいつかも聞いたようず哉 綺蜂
※ 春に雨を連れてくるような生ぬるい南風(ようず)は頭を重くする。
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