この国が「社会主義をめざす新しい探求が開始された国」と判断する根拠はもはやなくなった。数年来の事実からは、社会主義の事業への誠実さ、真剣さを見出すことはできない・・との見解に私は賛成したい。だが、この話はここまでにする。
今日私が書きたいことは、この文脈の中で志位和夫委員長が中央委員会総会で、「より根底にある歴史的条件は、中国社会に大国主義の歴史があるということです。近代以前、中国は、東アジアの超大国として、周辺の諸民族と朝貢関係を結び、従属下においてきた歴史をもっています」と述べたことである。
現代中国を語る文脈で近代以前の歴史を挽くか!という驚きと、確かにそこは避けて通れない!という気持ちが錯綜したというのが本音である。
先に後者に関わることを言えば、どうして中国はあれほどまでにチベットやウイグル自治区に対して強権的に振舞うのかという不思議で不愉快な気分が私にはあったから「異議なし!」と言いたい気分になっている。
そして前者の「歴史」となると私の頭は孔子の時代まで飛んでしまうのだが、孔子が国の覇者を単に皇帝とみるだけでなく、天子でもあると定義付けたところに出発点があるように私は感じた。
そういう儒教にお墨付きを受けた覇者は、この地上全体の王だと主張し、その思想を他国にまで押し付けた。それが中華思想である。
そういう儒教にお墨付きを受けた覇者は、この地上全体の王だと主張し、その思想を他国にまで押し付けた。それが中華思想である。
この中華思想、華夷秩序のコスモロジー(宇宙観)については、内田樹著『日本辺境論』の文章が解りやすいので引用させていただくと・・、
■ 世界の中心に中華皇帝が存在する。そこから「王化」の光があまねく四方に広がる。近いところは王化の恩沢に豊かに浴して「王土」と呼ばれ、遠く離れて王化の光が十分に及ばない辺境には中華皇帝に朝貢する蕃国がある。これが、東夷、西戎、南蛮、北狄。さらに外には・・だんだん文明的に暗くなり住民たちも禽獣に近づいてゆく。
■ 国力が充実した中華王朝は国威発揚のために必ず四囲の蕃族を討伐する。漢の武帝は匈奴を討たせ、大宛を征服させ、隋の煬帝はトルファン、チャンバ、台湾に出兵し高句麗遠征を試みた。明の永楽帝は鄭和の大艦隊を西アジアやアフリカまで派遣した。軍事力が充実したら、別に外交上喫緊の必要性がなくても、とりあえず蕃族に武威を示し朝貢を促すというのが華夷秩序の「常識」。(引用おわり)
日本の古代史などを考える場合に大陸の政治は避けて通れないから、古代史が好きな私などは、引用した内田先生の文章は正鵠を射ているように思う。余談ながら、日本は日本で、太陽に対する惑星でありつつ月を従えたいというような小中華思想を常々発揮してきた。近いところでは八紘一宇。かくのごとく天子の思想は非常に危険である。
昨日の『漆胡樽』の記事で私は「西域という言葉には謎や夢がある」と書いて、同時に「この感覚にはバイアスがかかっている」と述べたが、胡(えびす)の字のとおり西域は西戎の国々のことであり、朝貢を強いられた蕃国の国々であった。
バイアスとは、古代の大陸文化から見て目と鼻の先の出雲や越の地を「裏日本」と見て正当に評価できない人々の感覚と似ている。
そして歴史的事実は、それら西域や北方の国々が決して技術力や文化、文明に疎い野蛮国ではなく、例えば青銅器文明は中原以前にユーラシアの草原に生まれている。
歴史的に見た場合戦争や戦力というものが技術力や政治力など総合的な国力の問題だととらえると、隋も唐も元も清もそれらの非漢民族が樹立したものだった。
中原を度々恐れさせた匈奴にしても、野蛮であるから戦争に強かったわけでは決してない。農耕の文化だけが文化、文明ではないのである。
素直に正倉院の宝物を眺めれば、ユーラシア各地の高い技術力、文化、文明、芸術性は一目瞭然だろう。長江の文明を含めて考えればなおさらである。
中華思想というのは、そういう現実に対するコンプレックスの所産だという説にも一理ある。
戦争では野蛮人に敗れはしたが、中原の文明の後継者は我々だと。
とまれ、中華思想は、内実が侵略であっても「鎮西」であったり「平東」と唱えたのであった。
特に漢民族(正確には民族と呼ぶのもおかしいが)の王朝にその思想は濃厚で、他民族、他文化、他宗教への不寛容と大国主義にそれは現れている。
現代社会問題をいわゆる「文明論」で切り捨ててはいけないが、そういう負の思想的土壌を知っておくことは重要だ。
写真は東大寺の昭和落慶法要 |
昨日の『漆胡樽』の記事で私は「西域という言葉には謎や夢がある」と書いて、同時に「この感覚にはバイアスがかかっている」と述べたが、胡(えびす)の字のとおり西域は西戎の国々のことであり、朝貢を強いられた蕃国の国々であった。
バイアスとは、古代の大陸文化から見て目と鼻の先の出雲や越の地を「裏日本」と見て正当に評価できない人々の感覚と似ている。
そして歴史的事実は、それら西域や北方の国々が決して技術力や文化、文明に疎い野蛮国ではなく、例えば青銅器文明は中原以前にユーラシアの草原に生まれている。
歴史的に見た場合戦争や戦力というものが技術力や政治力など総合的な国力の問題だととらえると、隋も唐も元も清もそれらの非漢民族が樹立したものだった。
中原を度々恐れさせた匈奴にしても、野蛮であるから戦争に強かったわけでは決してない。農耕の文化だけが文化、文明ではないのである。
素直に正倉院の宝物を眺めれば、ユーラシア各地の高い技術力、文化、文明、芸術性は一目瞭然だろう。長江の文明を含めて考えればなおさらである。
中華思想というのは、そういう現実に対するコンプレックスの所産だという説にも一理ある。
戦争では野蛮人に敗れはしたが、中原の文明の後継者は我々だと。
とまれ、中華思想は、内実が侵略であっても「鎮西」であったり「平東」と唱えたのであった。
特に漢民族(正確には民族と呼ぶのもおかしいが)の王朝にその思想は濃厚で、他民族、他文化、他宗教への不寛容と大国主義にそれは現れている。
現代社会問題をいわゆる「文明論」で切り捨ててはいけないが、そういう負の思想的土壌を知っておくことは重要だ。
そういう意味で、日本共産党委員長が近世以前の歴史に触れて現代を語ったのは、後々大きく評価されるような気がしている。
中国政府と香港行政府は香港市民の民主主義的要求をを暴力で弾圧してはならない。
中国政府は、チベットやウイグルの文化や宗教を含む要求を弾圧してはならない。南シナ海を侵略してはならない。核兵器禁止条約に反対してはならない。
中国政府と香港行政府は香港市民の民主主義的要求をを暴力で弾圧してはならない。
歴史に弱い私は、このブログの大部分について議論に参加できないのが残念です。学生時代、唯一サボった授業が歴史の時間だったのです。猛反省です。
返信削除今の中国がチベットやウイルグに対してのみならず国内においても自由も民主主義もない独裁国家になってしまったのか、理解に苦しんでいましたが、志位委員長の話で少しその一因が理解できたように思います。中国共産党の変化の経緯、歴史的条件等分析・評価に納得。綱領の改定でモヤモヤがスッキリしました。
ケンタさん、コメントありがとうございます。文化大革命というのもひどい暴力的な権力抗争でした。当時それを、社会党だけでなく、公明党や自民党が「すばらしい」と褒め称えたことを今も覚えています。
返信削除「人民共和国」だとか「中国共産党」という文字にこだわらず、素直な目で評価や批判をしてゆくことが大切だと思います。