色葉散る古都には鹿のビスケット
もう珍しい光景でも何でもなくなったが、奈良駅を降りると日本語は少数派になる。
政治のおかげで韓国語は激減したが、それでもインバウンドとやらを実感する。
それにしてもこの看板。煎餅の中国語はこんなんだったかしらん。
今はパソコンに無料の翻訳機能があるから調べてみると、饼干はピンガンやビンガーンというような発音でビスケットのことだという。
先日来「多様な文化」というようなことに触れた文を少し書いてきたが、東大寺大仏殿でもインドネシアあたりと想像するムスリムと思われる方々を結構たくさん見受ける。
ムスリムというと偶像を忌避したアフガンのタリバンによるバーミヤン大仏の破壊が想起されたりするが、やはりあのような原理主義者はほんの一部のことなのだろう。
そういうイスラム原理主義を醸成したのはアメリカやロシアや西欧の政治介入で、外形的に言えばキリスト教徒たちだという論もあり得ないことではない。
ともあれ、晩秋の古都を歩いていると、国や民族を超えて人々は手をつなぐことができるように思うのだが、そんな考えは甘すぎると笑われるのだろうか。
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