OB会の遠足で、近江・坂本の穴太積(あのうづみ)の街並みを見てきた。
加工していない自然石で寺院やお城の石垣を造る独特の工法と、その技を伝えてきた職人集団に大いに感心した。
奈良の古刹の修理や復元に従事した故西岡常一棟梁の「木に学べ」に通じる「石の望むところに置いていく」思想は、一見経験主義、非科学的態度に見えたりするが、実は高度なテクノロジーだと思う。
これまでの日本の工業水準を支えてきた一つもそういう職人技であったのだから。こういう技を馬鹿にしてはいけない。
私の趣味で語るならば、現代人が弥生時代人や古墳時代人を非常に劣った知識と技術の人々だと考えるのは大いなる誤解である。
端折っていえば、この技術は古墳築造から引き継がれた大陸伝来の思想であったに違いない。
ガイドの説明によると、新名神の建設に当たってコンクリート工法と穴太積をテストしたところ穴太積の方が優れていて、実際、新名神の一部に採用されているらしい。
私はその強さの理由は柔構造だと思う。
阪神大震災の折、大阪の法円坂では第2合同庁舎が飛びぬけて被害が大きかった。その理由は、古い工法で柔構造ではなかったからだということだった。今では高層ビルを柔構造にすることは常識になっている。
穴太積の柔構造ということでいえば、それは石や土地という自然に対する謙虚さではないだろうか。
さて、この秋は豪雨被害がたくさん発生した。
莫大な費用を投入したダムで制御する思想の脆弱さが明らかになった。
水害対策を先人の知恵に「柔構造で」学ぶならば、大規模被害の前にあらかじめ溢れる場所を造っておく遊水地の思想の方が極めて現実的、効果的なのではないか。
千曲川横の新幹線の基地などは元々長沼とか赤沼と呼ばれていた場所で、いわば遊水地だったということだから、現代人の驕りに対するしっぺ返しのような気がする。
というようなことを、穴太積に感心しながら考えた。
ただ、目の前で工事が進められていたが、いくら先人の知恵、経験の蓄積といっても、ヘルメットも被らず安全靴も履いていないのはいただけない。
偶然にも穴太積みの作業の一部を見れて興味深かった。それと、ガイドさんの説明で廃仏毀釈のことが語られたが神仏習合と云いながら僧侶と神官たちの本当の思いはどうだったのだろうか、時の為政者の国策のなせる業なのか、これも大いに興味深かった。
返信削除ここは「南都北嶺」の北嶺ですが、南都では東大寺と手向山八幡宮、興福寺と春日大社の神仏習合の行事は現在もたくさん残っていて楽しく感じます。一例をあげれば、若草山の山焼きの際は、東大寺、興福寺の僧侶、春日大社の神職、それに大峰の山伏が参加します。また、東大寺二月堂のお水取りでは全国の神々が読み上げられ、呪師という神道や道教を担当する僧がいます。
返信削除