一昨昨日『漆胡樽(しつこそん)』のことを書いた。
漆胡樽はそもそも謎の「正倉院宝(御)物」だが、ここは多数意見に従って「水入れ」だとして話を進める。砂漠の民が駱駝の背に振り分けにして提げていたのだと・・・。
それにしても私が不思議に思ったのは、水入れだとしたらその地には元々羊等の革袋があったのに、どうしてこんな手間のかかる水入れをつくったのだろうかということと、結局それをやはり革袋に似せて作ったメンタリティーとはいったい何だ?だった。
そして、こういう「高度な技術で元の素朴な形状」をいとおしむメンタリティーを、どこかで読んだような気がしたのだが、何処の何のことだったのかが思い出せず、結局、寝てからもレム睡眠時には頭の中でいろんな書物を探し回った。
さらに、ざるそばの笊(ざる)が、機能的にはどんな笊でもいいのにやはりプラスチックであっても竹製品を真似るようなものかな、そうではないかな、などなどとも、うつらうつらの状態で考えた。
そのうち、いや漆胡樽と同じ正倉院御物にあったような気が・・、ということで探してみると、『玳瑁竹形如意(たいまいちくせいにょい)』が見つかった。
如意とは孫の手形の僧具であるが、木芯に玳瑁の甲羅(鼈甲)を巻き被せた高級品、芸術品である。
それが、竹に似せてリアルに何節かの節を付けているので「竹形如意」である。
デザインはあくまでも伝統を踏襲して、素材で驚かすとは何という洒落ものなんだ。
さらに『逆転の大中国史』という本の中に、キタイ時代の陶磁器の水筒の写真を見つけた。
大キタイ帝国は916年に建国されているが、キタイの語源は契丹で、現代でもキャセイ航空のキャセイとして名が残っている。
その素材と技術はチャイナのものだが、デザインは握って離さないアイデンティティー(その民族的「らしさ」)とでもいうかのように革袋の水筒であるという事実に、驚きを通り越してある種の感動を覚えた。
漆胡樽は桐様の木材を釘と接着剤で形づくり、漆を塗って仕上げているという。
そこまでしても、形はやはり革袋というのは、砂漠と草原の民のアイデンティティーというか誇りなのかもしれない。
そう思うと漆胡樽がさらに愛おしく見えてきた。
そして、そういうモノゴトに不思議さを感じる自分が、多様性の尊重などという原理原則を解っていながらも、やはり農耕民族の文化にどっぷり浸かって、そこから望遠鏡のようなものでユーラシアの草原を不思議がっているという事実を再確認するのだった。
国どおし、民族どおしのすれ違いも、案外そういう面があるのではないかと反省だ。
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