2018年9月1日土曜日

教養を憎む

   8月26日安倍晋三氏が鹿児島県において自民党総裁選に立候補を表明した。それをNHKが生中継をした。
 安倍晋三氏は観ているこちらが恥ずかしくなるようなカメラ目線と芝居に終始し、『西郷どん』の人気におもねて桜島を背景に薩長同盟と明治維新に重ねて己を「勤王の志士」的に演出した。
 朝日新聞も見かねて「大河ドラマを意識」「インスタ映えを意識」と評している。

 それに被せて安倍晋三氏はツイッターで、「我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山――筑前の志士平野国臣の短歌です。・・日本の明日を切り拓いて参ります」と表明した。えっえっえっえっ・・・。

 そこで・・・、私は、歌人であり国文学者である上野誠先生の講義を思い出した。
 「万葉集の、大君は神としませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ・・を読んで、藤原京は元は沼地だったというような解釈をしてはならない。その意は人智を超える能力の持ち主と称賛しているところにあるのだ」ということだった。
 
 そこで安倍晋三氏のツイッターに戻ろう。氏のツイッターを善意に解釈すれば「我が志の高さに比べれば桜島の煙は薄いものだ」となろう。
 これでは「藤原京は元は沼地だった」と同レベルの解釈になる。

 平野国臣は薩摩に入ろうとしたが伊集院の地で追い返され、そのときにこの歌を詠んだのだ。
 なのでこの歌は「薩摩の勤王の志の低さよ」と皮肉を込めて失望した歌というのが常識とされている。国文学上はほんとうにこれが常識だ。
 それを「桜島の煙の薄さよ」と解して、得々として薩長同盟や明治維新につなげるのは内閣総理大臣としてあまりに恥ずかしい。ほんとうに恥ずかしい。

 なので、世間では安倍政権周辺のあまりの教養の無さにあきれているが、思想家の内田樹先生は「どうせライターの原稿だろうが、安倍政権周辺は教養がないというよりも教養を憎んでいる」と喝破されている。
 同感である。

   誤読され筑紫恋しと蝉の泣く

 ※ 勤王だとか志士だとかの文字を使用しているが、私の明治維新の評価はそうではない。
  ツクツクボーシの「聞きなし」の一つに「筑紫恋し」がある。
  MBSラジオ毎週土曜日朝5時半から『上野誠の万葉歌ごよみ』が放送されている。首相周辺の皆さん。お勉強なさい。

2 件のコメント:

  1.  今朝の「毎日」に「熱き思い伝わらず」と批判的に書かれていました。安倍首相に限らず政治家のコメントは思いつくままに語る場合(通常はオフレコ扱い)と殿さまの祐筆のようにコメントを考えるブレーンがいるのでしょうが殿が殿なら祐筆も祐筆というところでしょうか。この前は菅官房長が枚方市を「まいかた市」と読んでいましたね。あ~祐筆どもの質の低さよ。

    返信削除
  2.  昨日付の日刊ゲンダイが我がブログと同趣旨の批判を書いているのをネットで知りました。
     大阪維新にも通じることですが、「教養がない」のでなく「教養を憎む」、あえて低次元の言葉を乱発して問題をすり替える、そういう「反知性主義」が彼らの戦略になっているようです。
     なので、「教養の無さ」を笑って過ごしたのでは不十分な気がします。

    返信削除