スポーツ界のリーダーたちの醜聞に似た出来事を聞くにつけ、実績や人脈などではない人格というか全人的な人間性が問われているように感じている。
リーダーは情が判ってかつ論理的に指導できる二刀流である必要がある。
これがスポーツ界以外だと、売らんがための数々の不正問題だろうし、我が亡きあとに洪水よ来たれの原発政策になる。
大学が予算欲しさに軍事研究に手を貸すのも同じだろう。
理系の人びとが専門馬鹿と揶揄されることがあるが、人文系の教養を欠いた技術の「進歩」は危なっかしいところがある。
反対に文系と呼ばれる人々の中には理系的な論理的思考が欠けている人がいて、これも結局精神論か経験主義になる。
先日の台風21号と北海道胆振東部地震でも安倍首相や世耕経産相が、総裁選のためだろうが矢鱈にテレビに出て、「関空の早期の開港を指示した」だとか「停電の早期復旧を指示した」と言っていて、それらを批判的に報じないメディアに私は怒りさえ覚えた。
私が何を怒ったかというと、「関空を早期に開港するため努力せよ」だとか「停電の早期復旧に努力せよ」などというのは指示でも指導でも、いわんや援助でもないからである。
現場の人間は言われなくても必死で対応している、自分や家族は二の次にして努力しているはずである。
そんな折、大切なことは大所高所からの現状分析と具体的な支援体制であるはずのところが、アリバイ工作のように「ハイ私は指示しておきましたよ」というのはじゃまにこそなれ支援・指導にも何もならない。
こういう人間はリーダー失格、三流四流の「上司」になる。
そういう人物(首相や大阪府知事)はそろいもそろって「指示しておきましたからね」と言って海外に「逃亡」した。
現役時代、現場の名ばかり管理職をしていた人間の溜息を聴いてもらえただろうか。
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