2011年2月5日土曜日

郷土史を実感されている古老は羨ましい

 鞍岡山3号墳の発掘調査結果の講演会がありました。
 古墳の場所は、JR学研都市線・近鉄京都線狛田駅の西南の丘陵の麓で、イメージ的にはくろんど池の東北です。
 円筒埴輪にホコを立てた送霊船といわれている船の絵があり、古墳時代前期の相当有力な地方豪族の円墳だということです。

 講演会には、(勝手に顔つきで判断して)学校の先生らしい人々の数を上回って、(これも勝手に顔つきで判断して)地元のおじいさんおばあさんが沢山参加されていました。
 きっと、和気王御陵墓と言い伝えられてきたこの古墳を先祖の墓同様に感じとり、自らも古墳時代から続いた子孫だと実感されているのでしょう。そういう体感を得られる方々を羨ましく思いました。
 「勝手に想像しないで欲しい。郷土史や文化財の学習を趣味にしているだけなのだから。」と怒られそうな感想で申し訳ありません。

2011年2月3日木曜日

手向山八幡宮のお田植祭

  節分の日に、道真が 「このたびは 幣もとりあへず手向山 紅葉の錦 神のまにまに」 と詠った東大寺の鎮守社・手向山八幡宮のお田植祭(おんだ祭)があった。(奈良市無形文化財)
 翁が農作業の所作を重ねながら神のご加護をお願いするという、お能などの芸能のルーツを実感させる神事であった。
 圧巻は、稚児の牛が四方に向かって 「モ~ツ」 と啼くところで、現代っ子が照れることなく大声で啼く様子は可愛くて仕方が無かった。
  神事で稲籾と餅と豆を高らかに撒いた後、参拝者に福豆の豆撒きも行われ、希望者には楠と松で作られた早苗(を模したもの)も配られ、ほのぼのとした中で終了した。
 古いお面(きっと重文)、古い所作、鼓・鉦・謡のような祝詞の唱和等々、そして適度な規模の小ささ・・・遠くないこの地に住む贅沢を十分に堪能した。
 その夜は、大きな声で 「鬼は外 福は内 戌亥の隅にどっさりこ」 と豆撒きを行い、恵方巻を丸かぶりし、食べた後の鰯の頭を柊に刺して玄関に飾り付けたのは言うまでもない。
 妻も 「子供のいない家で大きな声もなあ~」 と言いながら、一緒に大声で豆撒きに付き合った。

 








 
  以下、2月4日追加掲載


2011年2月2日水曜日

もしかして回想法(籾摺りを思い出した母)

 (妻の)母親の面会に行ってきた妻が、『母が「臼で籾摺りをしていたと(私に)言うといて」と言ってたよ』と話してくれた。
 これは、先日来私が尋ねていた義母の小さい頃の昔話の続きらしく、ロール式の籾摺り機が出まわる昭和のはじめ頃までの古い古い籾摺りの方法のようで、そんな古い方法を実際に体験していたのだということを私に伝えておいて欲しいというものだった。
 確かにこれは、昔の農作業はこうだったという現代史の枠を越えて、さらに古い、それはもう“近代史”の一齣に違いない。
 それにしても、年齢とともに避けられない体力の衰えと併せて全般的な意欲の低下が顕著であったのに、この伝言には心底から驚いた。
 先日ジュンク堂で何気なく老人介護の棚を見ていたら「回想法」という本が並んでいたが、もしかして、私のしていた「昔はどんなんやったん」は回想法だったのかも。
 小難しい論文(回想法の本)で無くっても、人は自分の経験を興味を持って聞いてくれるのは嬉しいものなのだ。だから「こんなことも話してやろう」という意欲を何年ぶりかで引き出したのだろうと思う。
 一般に、男の子は母親とそんな話をしないまま育つので、義母にしても実母にしても、近頃の昔語りを聞く会話はある種新鮮で此方の方がありがたいと感じている。
 これからも急ぐことなく身近な近代を尋ね続けたい。宮本常一の歩いた日本はここにもある。
 「おばあちゃんの若い頃の話をコンピューターに書いたから世界中の人が見られるねん」とブログを見せたら、「それはえらいこっちゃな」と笑っていた。

 母が子供の頃手伝っていた「臼挽き(籾摺り)」の想い出は・・・

 臼は上が木製で下は粘土で出来ていた。粘土の歯が減ってきたら職人さんを呼んで直してもらう。上から籾を入れて3~4人で棒を押したり引いたりして回転させ籾摺りをしたというもので、「それは力がいるねん」「しんどかったなあ」と溜息のようでもあり楽しい想い出のようでもあったらしい。

こんな臼を、右の絵のように
回していたらしい。

 

2011年2月1日火曜日

「鴛鴦の契り」とは よく言ったもの

 昨日、けいはんな記念公園・水景園に行ってきました。といっても電動アシスト自転車でチョッと寄っただけ。入場料高齢者無料の上に入場記念に節分の豆まで頂いて恐縮しましたが、考えると、こんな厳寒に野外の公園を訪れる人もなく、無料入場者であっても「枯れ木も山の賑わい」・・入場者はありがたいと思われたのでしょう。

 池の淵には薄氷が拡がり、時折、嵐に似た寒風が湖面を通り過ぎます。
 そして、ひたすら立木のごとく擬態をこらしておしどりの遊泳を待つのですが、他のカモ類が悠々と漂うときにもおしどりだけはなかなか出てきてくれません。
 土手の林の中や木の上で、物好きな入場者の様子を覗っています。
 魅力的なあの勝負服も、天敵には絶好の目印になるので、それだけ慎重になるのでしょうか。それともシャイ?

 「おしどり夫婦というけれど実際は抱卵中だけ」と書いてある本がありますが、写真のとおり、恋の季節以外でもカップルで過ごしているペアが目立ちます。おしどりはやっぱり鴛鴦の契り(えんおうのちぎり)、仲睦まじいおしどり夫婦だという言い伝えを信じたいと思います。

おしどりのペア

 草地で非常に珍しい越冬中のクロツグミを見つけ、これはすごいと喜び勇んで帰って調べ始めたところ、クロツグミの特徴どおりの「クチバシと目の周りが黄色」ではなく、これはますます珍しい発見かと追跡したところ、結局は寒さゆえか丸々と膨らんでいたヒヨドリとしか考えられず、いっぺんにガックリきました。

2011年1月31日月曜日

ようやく お目にかかった ビンズイ

 母の施設のカンファレンスがあった際、写真や本を持ち込むことでよい意味での刺激になっているのでは・・と言ったところ、施設側も大いに喜んでくれたので、学童保育の父母会を思い出しながら、折々に主に施設の庭で撮った鳥の写真をコメントをつけて持参している。
 何よりもここの施設は労働条件が比較的よいのだろう、職員の立ち居振る舞いに、忙しい中にも心のゆとりが見えて好ましい。
 持参した写真に職員のほうが先に喜んでくれ、廊下に張り出したりファイリングをして入所者に見せてくれている。
 妻は「お父さんは趣味を施設に持ち込んで喜んでいる」と笑っている。
 明日は近くの公園で撮ったビンズイを持参しようかと思っているが、少しマニアックな種類なのでコメントが難しい。

 セキレイ科タヒバリ類ビンズイ。夏は高地に避暑に行っていたが寒波とともに平地に降りてきた。今年はなかなか見かけなかったので“もう来ないのでは”と心配していた。写真よりも実際にはオリーブ色が綺麗です。

 

2011年1月30日日曜日

伎芸天さん お願いします

 久しぶりに半ば地元である秋篠寺を訪れました。
 昨今の平城遷都ブームから取り残された同寺は、閑静な冬空の下、ビロードの絨毯を敷き詰めたような苔庭がキラキラと輝いていました。
 国宝の本堂といい、あまりに有名な伎芸天の佇まいといい、過不足のない落ち着きが好ましい御寺です。
 顔の傾け具合、伏目の様子、腰のウエーブ等々を評して東洋のヴィーナスなどと多くの文人墨客の筆にのぼった伎芸天ですが、もっと素直に感動すればよいように思います。

 近頃有名になった近くのレストランで、娘とそのフィアンセから人生の決意を表明され、親としてはやれやれと安堵した記念日になりました。
 窓の外に粉雪が舞い、暖炉の炎が部屋を彩るというこんなシチュエーションの幸せを、親や祖父母の時代に思いを致せとは言わないまでも、閉塞状態の現代社会にあって、そこそこ感謝しつつ頑張って欲しいと・・どっぷりとそう思う、そんな親馬鹿になりました。
 しかし、聞けばフィアンセは相当な過重労働。子供らを不幸にさせないために、もの言わぬ高齢者などと隠居してはおられないと、じんわりと力が湧く思いです。
 

2011年1月28日金曜日

実を採る子だけが生き残る

 タイトルは「虫捕る子だけが生き残る(小学館101新書)」の盗作で、サブタイトルは「大正生まれの母が子供だった頃パート3」です。
 この間から義母に昔語りをしてもらってきたが、今回は、前回のオヤツの続きになった。
 裏山のあるような農家の娘の秋のオヤツは木の実尽くしのようで、天然のヤマモモ、グミ、ツルイチゴ、ヤマブドウ、アケビなどが豊富で、オヤツを買った覚えはないらしい。
カガミソ?

 そして、カガミソ、カキハジキ(カチハジキ?)、コシキ等がいっぱいだったというのだが、これらが一体どういうものかが解らない。
 いろんな本を出してきて尋ねたところ、カガミソが実はガマズミのことらしいことまでは解ったが、黒い実のカキハジキ(カチハジキ?)と、赤い実のコシキというのがどういうものかは結局解らずじまいとなった。
 奈良弁は、和歌山弁、泉南弁に似ているので、奈良~和歌山、泉南あたりでご存知のお方は御教示願います。
 それにしても、・・・・このように時代、時代は遠くなっていくものかということを、しみじみと思い知らされた。

2011年1月26日水曜日

エナガは柄長

 多くの場合野鳥の名前がカタカナだけで表記されているのには常々不満を抱いておりますが、エナガは柄(え)の長い柄杓(ひしゃく)のようなので柄長です。
 確かに柄(尾)が相当長くて一目でその名に納得です。
 ・・・・なんと覚えやすい。
 日本では2番目に小さな野鳥といわれています。
 柄(尾)以外は丸くて小さく、野鳥の中でもとりわけ可愛い者の一つです。
 実はそんなに珍しい鳥ではなく、シジュウカラ、ヤマガラ、コゲラ、メジロ、(偶にゴジュウカラ)などと一緒に集団で庭にやってきて、ひと時大騒ぎをして去っていきます。
 この集団は「カラの混群」といわれます。
 写真は、いつもと同様ピントは甘いですが、シャッターチャンスだけは気に入っています。

 普通の写真を追加します。

 

2011年1月25日火曜日

クイナ走り冬は来ぬ


 片思いのペンフレンドにやっと逢えたような気持ちです。
 活字ではズーっと昔からお付き合いをしていたし、♪夏は来ぬの歌でもお馴染みだったし、地名・駅名でも度々通過していたし、映画などでは夏の夜の背景に鳴声が聞こえていたし、でも、どういう訳か対面できていなかった彼女にやっと逢えたのです。 が、・・・今は真冬・・・ちょっとおかしい。
 と、調べてみたところ、多くの場合、水鶏(クイナ)とされているのは夏鳥のヒクイナのことで、そして、対面した彼女こそ冬鳥の水鶏(クイナ)に間違いなし。
 家から遠くない水上池の土手のツツジの植込みの下を走る、見たことのない鳥を見つけたときには我が目を疑ったくらいです。
 その後は、息を殺して枯草と同化して待つこと20分。少し幼い水鶏(クイナ)と無事ご対め~ん! 
 パチパチパチと拍手をお願いします。

2011年1月24日月曜日

なぜオンドルをやめてしまったの?

 比較的近所の上狛北遺跡現地説明会に行ってきました。
 恭仁京右京内の奈良時代の遺構・遺物が中心でしたが、私は古墳時代の住居跡の方に興味が湧きました。なぜならオンドルの跡があったからです。
 かねがね、古代国家の文化的先端集団であった渡来人がどうして素晴らしく合理的なオンドルをもってこなかったのか疑問であったからです。
 やっぱり、古くはオンドルがあったのです。・・とすると、さらに疑問ですが、このように合理的な文化(技術)を、いつの頃、なぜ、私たちの祖先は放棄したのでしょう。下って中世の日本は寒かったといわれているのに。それよりも兼好さんのように日本の夏の蒸し暑さのほうが堪らなかったのでしょうか。ご存知のお方に教えていただきたいと思っています。
 それにしても、京阪奈は遺跡だらけですね。
 今回の遺跡のすぐ北には、大量の三角縁神獣鏡で有名な椿井大塚山古墳があります。
 なお、見学中、私の隣におられたのは、近つ飛鳥博物館館長の白石先生でした。
 

2011年1月23日日曜日

若草山山焼きを再認識

奈良奉行

山法師

この中に種火

松明点火

いよいよ


山焼き

 30有余年遠景から眺めてきた山焼き。これまで何となく馬鹿にして若草山まで行ったことがなかったが、天気もよかったので散歩気分で行ってみたところ、結構おごそかな神事というか仏事というか(そんなことは神仏混淆の南都ではどうでもよいこと)も行われ、いやはやお見それしました。
 (春日大社、東大寺、興福寺、金峯山寺の神官や僧や山法師が祝詞や経を読み、楽人が奏し、山伏が法螺貝を吹き、ラッパ手が開会を告げ・・・・・・)



2011年1月21日金曜日

酸茎は古都の味

 酒席で酔っ払い同士が冬の漬物自慢をしたとき、広島菜や野沢菜を押しのけて“すぐき”を一番と決定したことがあるが、その理由は一番大きな声でしつこく主張したという単純な“酔っ払いの法則”に沿ったまでのこと。
 しかしこの“すぐき”・・。塩を振っただけの酸茎菜を天秤重石で嫌気状態にし40度という高温で乳酸菌発酵させるという他に類例のない文化財的漬物らしい。わが国唯一の自然漬物と書かれた本もある。
 近所に“洛北の寒さから逃れて転居してきた”方がおられ、洛北に帰られたときには必ず上賀茂神社参道で“すぐき”を購入され、「お好きだから」と毎回お裾分けしていただいているので、ますます好きになっている。
 この“すぐき”は、300余年前の文献にも登場している由緒正しい漬物でもあり、発祥の地である上賀茂神社も京都最古の神社の一つで勅祭・葵祭でも有名であるが、さらにその本家が奈良県葛城山麓の高鴨神社(上鴨社といわれる。中鴨社・下鴨社も近辺にある)であることを知る人は少ない。
 葛城山麓は明日香のように騒がれもせずひっそりしているが、“土蜘蛛塚”をはじめ古い神社や遺跡も多く、この地を歩くと“天孫・天皇族に滅ぼされた葛城王朝を支えた鴨族”という説に親近感を覚えてくる。(恭仁京、平安京で復活?)
 寒い冬の日、“すぐき”を食べながら古代の物語を思うのも楽しい。

2011年1月20日木曜日

本日のトリドリ

 正月飾り関係の“とんど”を庭のチムニーで私的に挙行し、注連縄の蜜柑は燃えないので木の枝にぶら下げておいたところ、早速一羽のヒヨドリが所有を宣言し、気の向いたときには突つき、満腹のときには近くの枝で見張りをし、メジロやシジュウカラなどが飛んでくると恫喝して追っ払う。

 このヒヨドリ、猫の額畑のレタスを丸坊主にし、サラダ水菜も相当かじって、なかなかの食通と見えたが、ルッコラだけは苦手らしくグルメとまでは言いがたい。
 この可愛くもあるが憎たらしく、なんとも中途半端なヒヨドリは写真を撮る気にもならない。

 代わりに、今日近所で撮ったのは、
 ツグミは、立ち姿に品がある。
 メジロは、どんな姿にも愛嬌がある。
 シロハラは、去年まではいなかった。落葉の山を力強く掘って虫を探しているようだ。有珍客自遠方来といったところで楽しんでいる。
 ヤマガラとシジュウカラは、高校生がツレだって遊んでいる感じ。
 カワラヒワは、くちばしが逞しい。

ツグミ

メジロ

シロハラ

シロハラ
ヤマガラ

シジュウカラ


カワラヒワ


 今朝、母のところに、施設の庭で昨日撮ったツグミの写真を持参したら、そこにいた職員全員が「見たことない」と驚いたので驚いた。
 おいおい、私は毎日1~2分庭を横切っているだけだが、本当にほぼ毎日見ているぞ。
 我が妻が最近まで「蝙蝠なんか見たことない」と言っていたのと同じで、目に入っているものでも関心を向けないことには「見たことない」・・となるというのをつくづく実感した。
 (もしかしたら政治や経済の情報も同じことかも・・)
 入所の先輩諸氏は、「昔は焼き鳥にされていた」という私の書いたコメントに反応してくれ、「伏見稲荷で売ってた」とか「可哀相やった」と楽しいおしゃべりがひと時盛り上がった。
 このごろは保育園の父母会をやっていたときのような気になっている。


2011年1月17日月曜日

雀の小便タンゴを突つくキツツキ

 今日も、ギーッ キキキキキと、コゲラ(キツツキ)の訪問があった。
 近頃は木にへばり付いた“雀の小便タンゴ(イラガの繭)”を突ついて、その蛹をメーンディッシュにしている。
 イラガは本邦最強の毛虫のため、コゲラのランチを観察しながら「ええぞ!コゲラ」と窓の内側からエールを送っている次第。
 蛹が羽化した後の繭の形はナルホド“雀の小便タンゴ”。
 こういう先人の命名、連想の豊かさには脱帽。
 といっても、もう子供らの世代には“小便タンゴ”は全くの死語で、長々と解説しないとわからない。

 この話、何回もしている。 同じことを繰り返すのは年のいった証拠か・・・と反省しつつも、今日もコゲラのランチに感動したのでブログに書いてみた。










2011年1月16日日曜日

カナディアンメープルはカエデじゃなかった

 11月に(ブログ掲載の)素晴らしい紅葉だったカナディアンメープルは、裸になっても冬空に存在感を示している。

 しかも、枝先にクリスマスツリーのようにぶら下がっているカナディアンメープルの実の殻も、つらつら眺めると何とも言えない愛嬌がある。

 きっとこの殻からあの竹とんぼに似たカエデ独特の種が飛んでいったのだろうと晩秋から探してみたが・・・・・、残念ながら今日まで見つけられないでいた。

 そこで改めて調べてみたところ、カエデ科とばかりに信じていたのが間違いで、これはカエデ科とは別種のマンサク科であることを初めて知った。エエーッ!

 明日は、入所者はもちろん職員にまで「庭の木はカナダのカエデです。」と訳知り顔で説明してきたのを訂正しなければならない。

 しかし、入所者にこの説明が理解されるかどうか・・・。

 エイ、“カナダのカエデのままでも誰も困るわけでもない” “紅葉の素晴らしい木を楓(カエデ)というのだ”・・と思ってみたりしている。

2011年1月15日土曜日

女正月

 「今日は女正月でおめでとう」と言って、施設の母と元気そうな何人かにホンの少しだけワインを注いだら、いっぺんに愉快になって歌い出す人もいて、隠れた飲酒(と幇助)がバレそうになった。
 持参した、近くの水上池で撮ったクイナの仲間のバン、オオバンの写真にも反応してくれた人も多く、「水上池は磐之媛命陵の隣」と説明すると、反応のない周囲の若い職員に対して先輩諸氏が「仁徳天皇妃や」「ヤキモチ焼いて飛びだしてん」などと説明。一瞬どこが認知症?というシーンが生まれておかしかった。
 
 追伸  水上池に行ったところ、何年か前にはいなかったコブ白鳥がいて感動したが、他の雁、鴨、鵜などの水鳥が人間を警戒して遠くにいるにもかかわらず、コブ白鳥だけは悠々と岸に近づいてきて、まるで餌を欲しがっている様だったのでがっかりした。

バン














コブハクチョウ
オオバン

2011年1月13日木曜日

母のオヤツは全て自足だった

 今夜、大正生まれの義母に、小さい頃の思い出話パートⅡを聞かせてもらった。

 ・・・・・・田植えのときはハレの日なんで“しんこ”を作ったな。
 米粉ともち粉を蒸して手の平で団子にし、村で共有していた“ねじり型”に入れて仕上げの蒸しをして・・それを砂糖醤油で食べたのが何んとも言えず美味しかったな。(写真は「聞き書き奈良の食事」)

 その外のオヤツといえば、蜂の子、イナゴ、泥鰌、田螺、ザリガニ、沢蟹―――オヤツをお金で買った記憶はないな。(考えようによっては豊かなオヤツかも・・?)

 そういう中で、オヤツではないけど「今日はご馳走!」といえば決まって鶏やった。鶏しかなかった。しかし、絞めているのを見てからは、とうとう何十年間も一切食べられなかったな。それを食べられるようになったのは孫(ウチの子)がケンタッキーフライドチキンを食べるのに付き合ってからや。今では“かしわ”は美味しいと思っている。孫のおかげやな。
 
 食べ物ではないけど、寒い冬には牛糞の山に手を突っ込んで暖をとったもんや。藁しか食べていない牛糞は汚いなどと思ったことがない。今から考えると全て自前で生活していたもんな。豊かではなかったかも知れんけど、と言って貧しいわけでもなかったかも(結構な田を持っていた農家の娘の遠い思い出)。・・・・・・
 
 今日の話はここまで。
 草食系の男女子諸君。この祖父母世代の逞しさを噛締めるべし。チャンチャン。

2011年1月10日月曜日

“えべっさん”に感謝感謝

 施設の生活は単調なので出来るだけ刺激を持ち込むように心がけており、今日は妻が妻の母のところに福笹を見せに行ったが周囲の多くが興味を示さず、「ハハハすべった」と言って帰ってきた。

 実母の方は今日は比較的体調がよく、大声で「商売繁盛で笹もってこい、商売繁盛で笹もってこい」と笹を振ったので、一緒に歌いだしたり手を叩いたりする人もいて部屋中が盛り上がった。この一瞬の笑い声だけでも“えべっさんのご利益ご利益”と何かじ~んと感謝した。

 「福笹を飾っておきたい」と言ったが「(施設の)イエス様に悪いやろ」と答えたら「それもそうやな」と納得した。

 帰る時、いつも無表情の方もにっこりと挨拶を返してくれた。

2011年1月9日日曜日

宵戎は大混雑

 4日のブログを書いた責任上、今宮戎(今日は宵戎)に詣でて来たが、不況に比例した大混雑。
 もちろん、その大混雑の中を、夫婦で、泳ぐように、笹をもらって、福娘に吉兆を付けてもらって、裏口をドンドン叩いて、しっかりとお願いしたのは言うまでもない。
 ミナミまで帰ってきたら丁度「宝恵駕」に遭遇したので、今回のブログは南地花街の綺麗どころでお楽しみを。
 それでは、お手を拝借、打ちましょ チョン チョン もひとつせ チョン チョン 祝うて三度 チョ チョン チョン。